新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする。
マタイによる福音書9章16-17節
西川口キリスト教会 戸井田 敦子
私たちはこれから、主任牧師招聘の為に、そして未来の西川口教会の歩みを考えるために、バプテストについて、主任牧師不在の際の教会形成についてなど、学びを行っていく予定にしています。私たちは教会や研修会でも学びますが、「聖書を学ぶ」「み言葉を学ぶ」とはいったいどういうことなのでしょうか。
私たちはそれぞれ、それまでの人生で作られてきた先入観や価値基準を持っています。人間である限りそれらからは逃れられず、自分の中で神像、主イエス像を作り、主の御心をはかり、信仰から従おうとします。時には自分、時には他者を、その基準で裁いてしまったりします。
主イエスは、ある金持ちの青年に「全て(全ての財産も、そして青年自身)を捨て、私に従って来なさい(新しい福音である私を受け入れなさい)」と言われました。学ぶとは、単に知識を得るということではなく、このような、それまでに持っていたものを砕き、新しい福音である主イエスを受け入れ、新たにされるということなのではないでしょうか。
教会もまた、特に時代の転換点にあって、新たにされていく必要に迫られています。過去に積み上げてきた働きを公平に見つめ、感謝し、評価していきましょう。今までに作ってきた「昨日の神」「昨日の牧師像」「昨日の教会像」を捨て去らなければならないかもしれません。その過程の中で、教会が砕かれ、しんどい思いをすることもあるかもしれません。
しかし、主は必ずそのしんどさも用いて下さり、道を開いて下さると信じています。砕かれることはしんどいことだと、主は知ってくださっています。その上で、全てを捨て去り、主イエスのもたらされた新しい福音に生きなさいと招いて下さっているのだと思います。主任牧師招聘の学びが、一人一人の心にもたらされる新生となりますように、そして教会が、日々新鮮な良い香りのする新しいぶどう酒を入れる、新しい革袋となれますように願います。