「あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。」
詩編84編 11節
大久保バプテスト教会 石垣茂夫 協力牧師
突然起きました、「会堂が閉ざされた礼拝」で、わたしたちは様々な挑戦を受け、今もその渦中にあります。 こうした状況の中ですが、わたしたちの「礼拝」について、「巡礼者」の信仰に導かれたいと願っています。
プロテスタントのわたしたちは「巡礼」という事をしませんが、「巡礼の旅」は、近代にいたるまで生涯に一 度あればこの上ない幸いなことでした。そのためには、計画を立て、健康を整えます。沢山の旅費も用意しな くてはなりませんが、仕方なしに出かけるのではありません。「巡礼者」は毎日、目指す地を思い描き、神にお 会いできるという希望に心を踊らせながら、神の都へと進んでいきます。
この「巡礼者」の思いを、教会に集って来られる皆様に重ねることが出来るでしょう。 皆様はそれぞれ、お仕事の責任を負っておられ、それを果たして集って来られます。身近な人のお世話があ ります。送り出す家族の感情に折り合いを付ける気遣いをいつもしています。この詩編には、そのように心砕 いて生活する中から、神殿(礼拝)にたどり着いたときの感動や喜びがうたわれています。 「あなたの庭で過ごす一日」とあります。苦労してたどり着いた神殿ですが、そこに長く留まることはでき ないのです。「巡礼者」が許されて神殿に留まるのは、ただ「一日」だけなのです。
これは、ある牧師会でのことですが、この「コロナ危機」の中で、ライブ配信などの手段を得ることが出来 たのは一つの進歩であった。だが、この手法によって、「キリストの体としての教会」(エフェ 1:23)をどう感 じるのだろうか、という問いかけがありました。
「恵みの一日」は、たった一日ですが「一千倍以上の恵みの日」ですと、詩編の作者はうたっています。 これまでの長い期間、閉ざされた礼拝に仕えてくださった方々のお働きに感謝しつつ、このみ言葉のような 「恵みの一日」が早く来ることを祈り、待ちましょう。