神の子イエス・キリストの福音の初め。
マルコによる福音書1章1節
「マルコによる福音書」の冒頭の言葉である。マルコが福音書を書いたのは、イエスという人物の伝記を書くためではなく、神の子イエス・キリストによってもたらされた福音(良い知らせ)を伝えるためである。迫害や脅迫があったにもかかわらず、初代教会が福音を宣べ伝えたのは、イエスが誰かを知ったからである。復活の主イエスにお会いして、主イエスが「神の子」であると目が開かれた時、その生涯と十字架の死は、世を救う神の出来事であると知ったのである。
主イエスの死は、神が人の罪を赦すために、罪なき神の子が人の罪の裁きを代わって引き受けた贖いの死であった。まさに神は人間の罪によって争いと不正に満ちてしまった世界を救うために、御子の死という一回限りの出来事によって、人の罪を赦し、罪人に和解の手を差し伸べる愛を示されたのである。
イエス・キリストによる救いは、神の深い計画によって定められ、イスラエルの預言者たちによって語られていた。その最後の預言者であるヨハネは、人々の罪を指摘し、悔い改めを促すバプテスマを授けた。ヨハネの使命は人々がキリストによる「罪の赦しを得る」ための準備をすることであった。ヨハネは言う。「わたしは水であなたたちにバプテスマを授けたが、その方は聖霊でバプテスマをお授けになる」。
「聖霊でバプテスマを授ける」とは、罪の赦しが神から来る一方的な恵みであるということである。復活のキリストは、今、聖霊によって、罪の赦しを宣言し、私たちを神と和解させ、神の祝福のもとに生きる者にしてくださる。ここに世を罪から救う神の計画がある。これが神の福音である。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。