「だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」
マルコによる福音書14章21節
西川口キリスト教会 朴 思郁 協力牧師
本日の聖書を通して、私たちはいかに神によって生かされているのかについて、ご一緒に考えることができればと願っています。果たして私たちが信じている神はどんな方なのでしょうか。
まず、神は、私たちの弱さを助けてくださるお方でおられます。26節は、「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます」と言います。私たち人間はいかにか弱い存在なのか、認めざるを得ないと思います。私たちが抱えているありとあらゆる弱さの根底には、人間の自己中心性があるということです。聖書は、人間の自己中心的な生き方、それを罪と言います。その罪によってありとあらゆる私たちが抱えている問題が起きているわけです。しかし、聖書は、神は私たちの弱さを知っていておられ、私たちを助けてくださると言います。神はいついかなる場合にも私たちを離れることがなく、私たちが神を意識していない時でさえも、神は私たちをじっと見守っておられることを覚えることが何より大切なのです。
また、神は私たちのために祈ってくださるお方です。聖書は、「わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださる」と言います。神は、私たちがどうすれば良いのか悩んでいる時、私たちのために祈りをもって助けてくださるのです。私たち信仰者が、嘆き悲しみながら、どうすれば良いのかわからなくなっている時、聖霊は「言葉に言い表せないうめきをもって」私たちよりも悲しんでおられると言います。神は、私たちの祈りを補ってくださるお方であることを覚えることが何より大切なのです。
最後に、神は万事が益となるように共に働かせてくださるお方です。使徒パウロの生涯は、まさに波乱万丈の人生でした。パウロは自分の同胞であるユダヤ人たちに苦しみを受けたり迫害と受けたりしていました。牢屋に監禁されたことも何度もありました。またいろいろな病気を抱えていました。パウロは、幾度もローマに行こうとしていましたが、その道は閉ざされました。そのような大変な体験をして、パウロは、「万事が益となるように働く」という信仰告白に至ったのです。大変なときこそ、「万事が益となるように」働かれる神の約束を覚えていきたいと思います。それは単なる自分勝手な願望ではありません。万事を益となるようにしてくださるのは、他ならぬ神御自身であることを覚えていきたいと思います。私たちは、神はどんなお方であるかを思い起こしながら、自分自身ではなく、神により頼んで歩んでいきたいと願います。