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主日礼拝宣教要旨

2月13日(日) 在宅主日礼拝 宣教要旨「ただ主に依り頼む」 出エジプト記13章17-22節

「昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。」

出エジプト記13章22節

西川口キリスト教会    戸田 浩司 

 出エジプトの出来事から、「先行きが不透明で不安定な状況下でも神は、神の民を離れることなく、導かれ、私たちは神のご計画が進められていることを信じることができた」ということを教えられます。果たして主に導かれることを信じることとは何を意味するのか、3つのことから考えてみます。
 一つ目は、主に導かれることを信じることとは、まず出エジプトを通して神が約束のご計画を遂行される方であることを知ることです。アブラハムの孫のヤコブが 70 人の大家族を伴ってカナンの地からエジプトへ下っていくとき次のような神の言葉がヤコブに臨みます。「エジプトへ下ることを恐れてはならない。わたしがあなたと共にエジプトへ下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す。」(創世記 46:3、4)。神の言葉どおり、エジプトに移住したヤコブの家族がカナンの地からエジプトに下ったその数百年後にイスラエルの民がカナンの地に戻り、神の約束が成就されました。主に導かれることを信じることの二つ目は、私たちの目には遠回りと見えても主の約束は必ず実現されることを信じることです。神はイスラエルの民を荒れ野の道に迂回させたので、エジプト脱出からカナンに至るまで 40 年かかりました。私たちは神に、できれば最も平穏な、そして最短のルートを願い求めます。しかし神が私たちを導かれるとき遠回りに、それもあえて険しい道が選ばれるときがあります。神の導きの道を私たちは知ることができません。遠回りと思えることでも主のご計画の中にあることを信じるしかないのです。
 主に導かれることを信じることの三つ目として、主は昼も夜も私たちに先立って導いてくださっていることを賛美すること、つまり先立って導いてくださっている主を喜ぶことです。常に民に先立って進む雲の柱と火の柱は神がご自身の約束、すなわちイスラエルの民をカナンの地へ導き出すという約束を果たされることを具体的に表すものです。現在のコロナ禍では特に人と人との繋がりが分断されてしまっているため不安になり心が折れそうになる時があるかもしれませんが、神は一人一人を約束の地へと導いてくださっています。そして神は私たちの必要をご存じで、常に寄り添ってくださいます。主の祝福を追い求めて主に頼る者を神は決してお忘れにならないことに確信を抱きながら、ひたすらにただ主に依り頼む者でありたいと願います。


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