わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。(ヘブライ人への手紙12章5節)
親は子供が大人になって、社会で生きていけるようにと教え、鍛錬します。子供を愛しているからです。親は「自分の考えに従って」教育します。そのために、偏りがあり、完全ではありません。霊の父である神様も、私たちを鍛錬します。「神は、神が愛しておられる者にだけ鍛錬する」(キェルケゴール)。神様の鍛錬は間違いがなく、本当に私たちにとって一番良いことをなさるのです。
神様は、愛する者を苦しみの中で鍛えます。愛する者をご自分の御心に叶う人間に造り変えるためです。「霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです」。神様は私たちを、どんな時にも神様の愛と守りを信じる人間、そして、生涯を通して、神の愛を証しする人間に造り変えてくださるのです。神の鍛錬は、その当座は喜ばしいものではなく、辛いものです。しかし、後になると、私たちの内に「義という平和に満ちた実を結ばせるのです」。