「これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。」
コロサイの信徒への手紙 3 章 14 節
西川口キリスト教会 戸井田敦子
コロサイの信徒への手紙は、コロサイにいる聖なる者たちへ、パウロとテモテから出された手紙です。獄中 書簡と呼ばれている手紙のひとつです。3章 12 節には「あなたがたは、神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから」とあります。コロサイの共同体は、何の問題もない、素晴らしい共同体ではありません でした。しかし、大切なことは、パウロがそれを神に選ばれ聖なる者とされた人々の集まりであると徹底して 書いているところです。そして、あなたがた(=わたしたち)は主に愛され、赦されているのだ。だからこ そ、主があなたがたひとりひとりを赦してくださったように、互いに忍び合い、赦し合い、憐れみ、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさいと続けます。けれどもなかなか、私たちはこの言葉に従って生きている、とは胸を張って言えないのではないでしょうか。
教会で起こる出来事や奉仕を捧げる中で、追い詰められてしまう時があります。頑張らなくてはと無理をし たり、誰もわかってくれないと感じたりします。奉仕に疲れたり、孤独を感じることもあるでしょう。しかし、私たちは聖なる者とされ、主の愛がきずなです。お一人お一人が祈り、教会の礼拝を支えて下さっていることを、もっと自分のこととして感じ、感謝して愛していきたいと思うのです。
主に与えられた、限りある一度の人生の時間の中で、私たちはどれほど愛を持って生きていけるのでしょうか。同じことをするのにも、どれほど愛に裏打ちされ、丁寧にそのことと向き合っていけるのでしょうか。問題が起こっても、怒ったり責め合うのではなく、忍び合い、赦し合い、そのことに向き合っていくことが出来るように、いつもいつも「わたしたちは神に選ばれ、聖なる者とされ、赦され、愛されているのだ」というところに戻ってきたいと願うのです。それはすべての始まりであり、すべての帰結でもあるのではないでしょうか。主の愛こそが、すべてを完成させる、私たち、主を知っている者のきずななのですから。