「これに対してイエスは、『あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。』 とお答えになった。」
マルコによる福音書6章37節a
加山彰一 牧師(東海バプテスト教会)
主の御名を讃美します。
西川口教会の皆様へ御言葉をお伝えすることができ、嬉しく思っています。現在、皆様は専任牧師の招聘に当たっておられると思いますが、ビジョンを掲げ、共に祈りを合わせて進めていただきたいと思います。
さて、皆さんと分かち合う聖書は、よくご存じの「二匹の魚と五つのパンの奇跡」の出来事です。主イエスは、群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様であったので、深く憐れんでいろいろと教え始めました。
主イエスが御業を行う時には、憐みの心をもって人々に接していることが分かります。その主イエスの心をどれほどの人が知っているでしょうか。弟子たちは、時間が経ったので、人々を解散させてくださるように主イエスに願います。そこで、主イエスは、弟子たちに「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」と語ります。弟子たちは、耳を疑ったことでしょう。「私たちに大勢の人たちに食べさせるお金はない。」「いったい誰が買いに行くのか。」と。信仰の成長は、私たちができそうもない課題に取り組むことにおいて生まれます。弟子たちは、人間の論理、打算で考えたのです。自分の能力、力、お金で神の力を限定してしまうと、神への信仰が弱くなります。主イエスは、私たちに「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と言われます。そうです。私たちがしなければ、誰がするのでしょうか。
主イエスは、弟子たちの持ち物を取って天を仰いで賛美の祈りを唱えて弟子たちに渡しては配らせました。私たちがその持ち物を自分で独占することではなく、隣人と分かち合って生きるために主イエスは、祝福されるのです。弟子たちが祝福されたものを配ることによって神の事柄となるのです。彼らがパンを裂いたり、魚を切ったりして人々に渡しても無くなりません。益々増えていくのです。神が祝福された恵みのパンは、増えるのです。私たちは、弟子たちのように、神が祝福された恵みの一つ一つを他の人に手渡しましょう。決してなくならないのです。神の恵みの証しは、証しを聞いた人も証しをした人も共に神の祝福にあずかり、共に喜ぶことができるのです。