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地域と共に歩む桜並木の教会

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主日礼拝宣教要旨

2021年1月16日(日) 在宅主日礼拝「私たちの目指す共同体」テサロニケの信徒への手紙一 1 章1-3 節

「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるため
に来たのである。」 

マルコによる福音書 10 章 45 節

朴 思郁  協力牧師

 パウロは、本日の聖書でテサロニケの教会のために祈っています。果たして、パウロがテサロニケの教会に宛てて書いている内容から私たちは何を教えられるのでしょうか。
 まず、テサロニケの教会に宛てた言葉から教えられるのは、教会を支える原動力についてです。使徒パウロは、「信仰による働き」によって成り立っていると言います。信仰とは、神が御子イエスを通して、私たちを救ってくださったという確信に基づいて与えられる最も偉大な恵みの一つです。それは、単なる観念的なものではなく日常の生活において具体的に現れるのです。常に私たちが教会の原動力として覚えておかなければならないのは、ほかならぬ、主イエスに対する信頼であることです。
 そして、教会として持つべき徳目として、愛を実践することです。パウロの表現では、「愛のために労苦した」と言います。テサロニケ教会は、内外的にいろいろな制限を抱えていましたが、その中でも「愛のために労苦」したというのです。言い換えれば、教会がしなければならないのは、生き残りのために自分たちのことばかりに気をとらわれるのではなく、愛を実践することです。「主イエスの愛の実践」、それがまさに「愛のために労苦する」ことなのです。そのために、主イエスの「仕えられるためではなく仕えるためにこの世に来られた」という精神を肝に銘じて福音宣教に励んでいくことが求められます。
 最後に、教会の持つべき姿勢として「希望を持ち続ける」ことです。使徒パウロは、「希望を持って忍耐していること」と言います。希望と忍耐、この二つは別々の事柄ではなく、決して切り離せない二つの事柄であると思います。言い換えれば、希望をもつということは、自分の想定の範囲で期待することを意味するのではありません。この世の論理や常識では、叶えないかもしれないと思われるような事柄であっても、決して諦めることなく、粘り強く忍耐し続けることが希望をもつという意味ではないでしょうか。「私たちの主イエス・キリストに対する」希望を持って忍耐する、それこそが教会の持つべき姿勢なのです。
  私たちの教会はいろいろな課題を抱えています。しかし何より大切なのは、主なる神は、私たちの教会に何を望んでおられるかを立ち止まって考えることではないかと思います。私たちみんなが信仰による働き、愛のための労苦、希望を持って忍耐する教会を祈り求めながら、共に歩ませて頂きたいと願います。


アイキャッチ画像 https://pixabay.com/ja/

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