ローマの信徒への手紙8章37節
内藤 淳一郎 (品川バプテスト教会員)
世界には、地震や津波、洪水によって、突然、人の命が奪われるなど、神の支配を信じることができないような悲惨な出来事が満ちています。神はおられない、人の命は運、不運という偶然に支配されているのだと思って、生きている人が多いように思われます。今は、コロナ感染の影響で、自殺者が増えています。社会には、苛め、差別、誹謗中傷が満ちていて、ネットがこれを増幅しています。神を信じない人たちは、人間は所詮、偶然に生まれ、偶然に死ぬ虚しい存在であると思って生きているのではないでしょうか。
しかし、聖書は、神が創造された世界は本来良きものであり、人間も神に似せて創造された尊い存在である。神は今、その良きものが損なわれたところを救おうとして働いておられる、と言います。信仰とは、今は、被造物全体が呻いているけれども、神はその損なわれたところを救おうとして働いておられ、最後には神の救いの業が成就する、と信じることです。
神は御子を世界に遣わし、その苦しみによって人間の罪と被造物の破れを贖う神の愛を示されたのです。神は人間の罪を贖い、被造物の破れを修復する働きを始められたのです。神は御子イエスによって、私たちとの交わりを回復し、神の子とするのです。そして、神と交わりを持つ命は来るべき永遠の世界へと開かれています。たとえ今は苦しみの多い人生を通らされても、私たちは御国を成就される神に望みを抱いて生きるのです。
私たちは困難の多い人生を送っていますが、神の子とされ、神に愛されていますから、どんな試練も私たちを損なうことはないのです。「死もさえも」です。神に愛される人生は心強いばかりでなく、死に勝利する人生です。私たちの人生は空しい死で終る人生ではなく、神の栄光に与かる人生です。私たちを愛してくださる神は、様々な試練に打ち勝たせて、私たちの未来を開いてくださるのです。
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