すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
コリントの信徒の手紙二12章9~10節
西川口キリスト教会 柳澤 芳信
「弱さを誇りましょう」という言葉は、何を私たちに伝えているのでしょうか。この言葉から三つのことが考えられます。
はじめに、私たちが神からあたえられた恵みを、数えながら感謝することです。本日の聖書には「弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」とあります。恵みは“しるし“あるいは”賜物“として、神に感謝して応答することができ、パウロは力を与えられた経験をしました。パウロは弱さの中でこそ、恵みは常に十分であり続けると、聖書に記しています。
つぎに、弱さを誇りましょうというのは、キリストの力に支えられて生きることです。「むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」とあります。パウロは肉体の“とげ“が与えられたのは、思いあがることがないようにだと悟りました。また、キリストの力が宿るとは、自然の命の体ではなく、復活した体、「霊の体」のことです。弱さを誇るもう一つの理由として、キリストの力が宿るとは、いかなる境遇にも常に復活の主を覚えつつ、生きるようになることです。
最後に、弱さを誇りましょうというのは、神の前にへりくだって生きることです。聖書は「わたしは弱いときにこそ強いからです」とあります。私たちは自分が弱いと思っているところで、初めてへりくだって主に依り頼み、そこに主の力が働くことができるようになります。
私たちは信仰者として何を誇りとしているでしょうか。それは他ならぬ神の恵みによって生かされていること、復活の主が伴ってくださること、そして神の前にへりくだって生きることです。自分の弱さを誇る信仰の姿勢を保ちつつ、これからの信仰の旅路を共に歩み続けていきたいと願います。
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