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主日礼拝宣教要旨

2021年7月18日(日) 在宅主日礼拝 (献堂感謝記念礼拝) 宣教要旨 「奉献の信仰に生きる」 ネヘミヤ記12章27-30節

朴 思郁 協力牧師

エルサレムの城壁の奉献に際して、人々は、あらゆる所からレビ人を求め、エルサレムに来させて、感謝の祈りと、シンバルや竪琴や琴に合わせた歌をもって、奉献式と祝典を行おうとした。

ネヘミヤ記12章27節

本日の聖書の箇所の主な内容であるイスラエルの民が城壁を奉献する場面に示されている奉献の信仰をご一緒に考えてみたいと思っています。古代世界で城壁とは、城の中に住んでいる、いわゆる城郭都市の人々にとって生存のために重要なものでした。ネヘミヤは、エルサレムの城壁を再建して、イスラエルが捕虜生活から解放され、自主的な国になったことを公に示すとともに、政治・宗教的な都であるエルサレムを外部の侵略から防ぐことが何より大切であることを現したのです。奉献とは、私たちは、なぜここにいるのか、そして、なぜこの新会堂を立てたのか、常に、私たちは何者なのかを振り返ってみる姿勢、それが「奉献の信仰」なのです。
奉献のもう一つの意味は、神の業を覚えて喜び、感謝することです。イスラエルの民は、不可能と思われていた城壁の再建を様々な妨害と困難の中で、ついに成し遂げました。しかしイスラエルの人々は、自分たちが成し遂げたのではなく、神がなさったとみなして、その思いを共同体的に表しているのが感じられます。詩編は、次のように言います。「主はわれらのために大いなる事をなされたので、われらは喜んだ」(詩126:3、口語訳)。つまり、私たちの生の営みの原動力は、他ならぬ神ご自身であるということです。すべてにおいて、神を中心として生きる意識、それこそが奉献の信仰に生きる姿勢なのです。
最後に、本日の聖書から教えられる姿勢は、互いに仕えるということです。ネヘミヤ記は、城壁の再建の際に、「民の長老たちはエルサレムに住んでいた。ほかの民はくじを引き、十人のうち一人が聖なる都エルサレムに来て住み、残りの九人が他の町々にとどまるようにした。民は、進んでエルサレムに住むすべての人々を祝福した」(11:1,2)と書いてあります。イスラエルの民が神の都エルサレムを中心に互いにつながっている強い絆が感じられるのです。エルサレムは、常に様々な困難によって危険にさらされる可能性がありますが、イスラエルの民みんなが、都にいるか否かは関係なく、心を一つにして、主なる神に仕えていたということです。つまり、教会員同士が愛し合い、仕えること、そして私たちの教会を大切にすること、それが奉献の信仰であることを改めて教えられるのです。
私たちは、11年目になる献堂記念感謝礼拝に際して、改めてそれぞれの献身の意味を覚えることができればと願っています。今日に限らずに、主イエスを頭としてこの教会共同体に連なっている私たちの群れが、常に奉献の信仰をもって、この地に教会が与えられた意味を受け止めて、これからの福音宣教に励んでいけたらと心から願っております。


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