兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。(ガラテヤの信徒への手紙5章13節)
中東諸国で広がっている自由を求める民主化運動を支持したい。しかし、人間は自由が保障されても、自分の自由、自分の権利を求めるかぎり、争い、対立、混乱は無くならない。聖書は、神が与えた自由は人間の不信仰と不服従の罪によって呪われたものとなったと語る。神は人間を罪の呪いから解放するために御子を遣わされた。神の御子キリストは神の敵となっていた私たちを愛するために、十字架にかかり、ご自分を犠牲にしたのである。その十字架には、愛されるに価値ない者を愛する痛みと、神の自発的な愛が現われている。この神の愛を知ることによって、人間ははじめて自由になるのである。神の愛にお応えして、神を主と崇める時、神と私たちとの関係が変化する。私を愛される神が私の主である。私の主人はもはや私ではなく、神である。キリストの十字架の恵みによって、神の愛とゆるしに包まれてこそ、私たちは自由にされ、神との関係の中で、進んで神の御心に従うのである。キリストによって自由にされた者は、冒頭の勧めのように、独りよがりな生き方ではなく、神に喜ばれる生き方をしようと決心する。