足立 智幸 牧師(宮原キリスト教会)
主の名を呼び求める者は皆、救われる。
使徒言行録2章21節
本日23日は、ペンテコステです。2000年前、イエス様の弟子たちに聖霊が下り、大胆に、み言葉を語り始め、教会が始まった記念日と言われます。ペンテコステ以前の使徒たちは、惨めな想いをしていました。愛するイエス様が十字架に付けられた時も、ヨハネを除き、イエス様の十字架を前に逃げてしまったという負い目がありました。このように弱々しいイエス様の弟子たちが、全く別人へと変えられました。約束の聖霊が降り、使徒だけでなく、他の弟子たちも、迫害を恐れずに福音を大胆に語るようになったのです。福音を大胆に語る、これこそ聖霊のバプテスマを受けたしるしです。聖霊のバプテスマを受けた人は必ず大きく変化します。聖霊のバプテスマを受けた人は、必ず「聖霊の実」「霊の結ぶ実」愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制の賜物を得るのです。もし、私たちが聖霊のバプテスマを受けたならば、真にキリストの香りを放つような生き方をするようになり、力強い主の働き人として生きることができる様になるのです。しかし、「聖霊のバプテスマ」の体験をまだ体験されていないクリスチャンは、弱々しい生き方しかできないわけではありません。むしろ、穏やかで、落ち着いた教会生活を送れるはずなのです。聖霊のバプテスマを受けることは予想外の体験、予想外の人生の始まりだからです。ですから、「聖霊のバプテスマ」の体験がないとしても慌てたり引け目に感じたり必要はありません。「聖霊のバプテスマ」はその人にとって、今は、その時ではないのかも知れませんし、むしろ、召されるまで、落ち着いた穏やかな教会生活を送られることも、すばらしい信仰の賜物であると思います。聖霊のバプテスマとは、預言者ヨエルを通して言われていたことの成就で『神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。』『 主の名を呼び求める者は皆、救われる。』たとえこの世の終わりが明日来るとしても、主が共にいて下さる。その様な、覚悟とも言える決心、それが「聖霊によるバプテスマ」によって与えられるのです。そして『 主の名を呼び求める者は皆、救われる。』このみ言葉は、今、危機にある私たちの励ましとなります。
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