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主日礼拝宣教要旨

2021年2月21日(日) 在宅主日礼拝宣教要旨 「神の民として歩む」 詩編1編1-6節

朴 思郁 協力牧師

「いかに幸いなことか/神に逆らう者の計らいに従って歩まず/罪ある者の道にとどまらず/傲慢な者と共に座らず1:2 主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人。1:3 その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び/葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」

詩編1編1-3節

詩編1篇には、私たちの人生において最も大切な事柄としてどう生きるかという事柄が鮮やかに示されています。それを本日の宣教題の「神の民として歩む」と表しましたが、その意味を考えてみたいと思います。
まず、私たちはいかに生きるべきかを教えてくれています。1節には、「神に逆らう者の計らいに従って歩まず/罪ある者の道にとどまらず/傲慢な者と共に座らず」と言います。この詩編は、遊牧民が荒野という厳しい環境で、様々な分かれ道に立たされている時に、選択と決断が求められることを表していると思われます。私たちは、人生の中で起こり得る様々な出来事の中で、悩みつつ、選び取っていかなければならない存在であるということを教えられます。
もう一つは、何を知るべきかということです。様々な選択に迫られることの多い私たちの人生において、その選択のために、私たちが備えておかなければならないことについて教えてくれています。2節には、「主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人。」と言います。「主の教え」とは、他ならぬ、御言葉を示しています。そして「口ずさむ」というのは、単に繰り返している行動を示すのではなく、ある意味、身に染み込んでいる姿を示しています。つまり、御言葉が受肉され、それによって生かされていることが、「口ずさむ」という言葉を通して示されていると思います。
最後は、神との関係性についでです。3節には、「その人は流れのほとりに植えられた木」と言います。続く言葉は、そのような関係性がもたらす結果として、「ときが巡り来れば実を結び/葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」と言います。木が実を結ぶことは、木自らの力ではなく、川の水源にしっかり根を下ろしている結果として与えられるのです。私たちの人生も何が起こるかわからないまま、悩み悲しみ多く、不安とおそれを抱えて生きていると言えるかもしれませんが、しっかりと流れのほとりに植えられた木のように、「神の民として歩む」ものでありたいと願います。


アイキャッチ画像 Jon PaulingによるPixabayからの画像 

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