西川口キリスト教会 四津 明美
天におられるわたしたちの父よマタイによる福音書6章9節
イエス様が教えてくださった「主の祈り」から、大切な事を聞いていきます。第一にあげられるのは、「主の祈り」は共同体の祈りであるという事です。神への呼びかけも人間に関する三つの祈りでも、単数の「わたし」ではなく複数の「わたしたち」で祈られています。毎週の礼拝の中で「天にまします我らの父よ・・」と「主の祈り」を祈るとき、「我ら」、つまり「わたしたち」とは誰をさしているのでしょう。それが自分の知っている人だけだとしたら、狭い世界しか見えていないことになります。自分にとって見知らぬ人であっても、同じ時代を生きている人類すべてが共同体と言えます。未知の人、見知らぬ人を自分の共同体として、他人事ではない自分事としてとらえようとするのが「主の祈り」の「わたしたち」に象徴されます。
第二にあげられるのは、「主の祈り」は聖書全体を表す、信仰の基本だということです。最も重要な掟は何かと尋ねられた時のイエス様の答えは「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』」(マタイ22:37-39)でした。この重要な掟はそのまま「主の祈り」の中身ともぴったりと一致します。最初の神に関する三つの願いは私たちが全身全霊で神を愛するようにということを示し、後半の人間に関する三つの願いは、隣人を自分のように愛することを実践できるようにと言う求めなのです。
新型コロナウイルスは、目に見えず、わたしたちの命を脅かし、人と人との間を遠ざけ、疑心暗鬼をもたらしています。今まで見えにくかった、または見ようとしてこなかった、社会の分断や、弱さや、敵意を顕わにしています。恐怖を覚えます。しかし、目に見えない神の愛、福音は私たちの命を生かし、人と人とを結びつけ、信頼をもたらします。今まで見えにくかった、または見ようとしてこなかった、社会の分断を取り除き、弱さを思いやり、敵意を滅ぼします。希望が見えてきます。
目には見えない神様の愛が今から約二千年前、見える形で現れたのがイエス様であり、その誕生がクリスマスです。神を愛し隣人を愛する、という「主の祈り」の精神はそのまま今日から始まる「世界バプテスト祈祷週間」の精神へ、世界中に神様の福音を届けるという働きへとつながっています。
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