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主日礼拝宣教要旨

2020年9月13日(日) 礼拝宣教要旨 「受け身の信仰に生きる」 コリントの信徒への手紙13章1-13節

M.I

それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

コリントの信徒への手紙13章13節

  コリントの信徒への手紙Ⅰ13章は有名な愛の章と言われるところです。ここで語られているのは私たちが目指すべき愛ではなく、神の愛です。全く次元が違うのです。この神の愛を知ることこそ、お互いを尊重し合い認め合っていく道だとパウロは語ります。そして、神の愛は観念的な愛ではなく、4-7節に記されているように行動を伴う愛なのです。このような行動をとられた方こそイエス様であり、イエス様はご生涯を通して神の愛を実践され、神の愛をお示しになったのです。
 パウロは語ります。「キリストは神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フィリピの信徒への手紙2章6-8節)
 私たちは十字架のイエス様に出会うとき、この一方的な神の愛に圧倒されます。イエス様は私たちがどんな状態であっても、たとえ理解が遅くとも、裏切ろうとも、受け入れ愛してくださいます。イエス様の十字架の前には私たちは完全に受け身です。12節に「わたしたちは、今は鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。」とあります。この、「はっきり知られている」は岩波訳では、「知り尽くされたように」と訳されています。私たちが神をはっきりと知るのはそのときが来た時なのでしょう。しかし、私たちは、既に今も神に知り尽くされていて、これからも神は私たちのことを知っていてくださるというのです。過去、現在、未来すべての次元で私たちは神の御手のなかにある、絶対的な安心感と信頼の中に置かれているのです。私たちはキリストの愛によってつながり、生かされている一人一人であることを喜びたいと思います。

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