西川口キリスト教会 石井 鉄也
わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。
エレミヤ書29章11節
バビロン捕囚以前のユダ王国の人々の信仰に対してエレミヤは、「主の神殿、主の神殿、主の神殿というむなしい言葉に依り頼んでいる」と厳しく批判します。そして、本来の信仰に帰らないユダの人々に対する神の怒りは、バビロン捕囚という形で成就しました。祖国の神殿は崩壊され、自らの信仰を実現できないバビあロニアの地で彼らは偽預言者の言葉に希望を求めました。
しかし、エレミヤは、「彼らは、わが民の破滅を手軽に治療して平和がないのに「平和、平和」という。」と批判します。しかし一方で、エレミヤは捕囚民に対して、励ましの手紙を送っています。エレミヤは、捕囚の民に対して、バビロンの地で定住を勧めています。さらには、バビロンの地の平安を求め、バビロンの町のために祈ることを勧めています。また、バビロンに七十年の時が満ちたなら、捕囚民をエルサレムの地に連れ戻すと予言をしております。神は、捕囚民が悔い改め、捕囚という現実を意味のある時間として過ごしてほしいと考えていたのでしょう。そして、29章11節では、あなたたちのために立てた計画を「よく心に留めている」といわれ、それは、災いの計画ではなく、平和の計画であり、将来と希望を与えるものである。と記されています。
現在我々も、予想しなかった日常生活の大きな変化を受け入れている渦中にあります。元の生活に戻れないかもしれない気持ちを持っているのではないでしょうか。一方で、大変厳しく困難ではありますが、この状況を現実として受け入れ、我々が置かれている場所で、神様の御心に適った生活の営みの延長上に、神様は、必ず「平和の計画」を備えてくださります。そして、これは神様にとって「心に留めている」ほどの強い約束であり、将来の希望が与えられているのです。まさに時を経て今、私たちはこの神様の「平和の計画」を心に留めて日々歩んでいきたいと思います。
アイキャッチ画像 Thank you!! to Minh Thái LêによるPixabay