西川口キリスト教会 石井 鉄也
現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。
ローマの信徒への手紙 8章18節
パウロが、ローマの信徒への手紙を書いた背景には、当時のローマという地における混沌の中で、本当のイエス・キリストの福音を述べ伝えなければという危機感があったと言われています。本日の聖書の箇所で語られるうめきには、「全被造物のうめき」があります。全ての生物が生存のために殺しあわなければいけない事実に対して、パウロは、「全被造物のうめき」を感じ取っていたのでしょう。また、我々キリストを信仰する者は、他の被造物とは異なる「うめき」をもっています。それは、「律法の行いによって義とされようとするための苦しみ」です。我々は、聖書の教えに従って信仰生活を送ることの難しさ、苦しみを信仰生活の中で感じているのではないでしょうか?
一方で、我々はそのうめきから解放される希望の存在を知っています。
26節には、「〝霊〟自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」とあります。何ら罪のない神の独り子であるイエス様が、我々の罪のために死に、そして死から甦り、我々のために執り成してくださる。これほどまでに言葉に表すことのできないうめきがあったでしょうか?そして、このイエス様の執り成しこそが、我々にとっての希望ではないでしょうか?
パウロは18節で、「現在の苦しみは、将来わたしたちに現わされるはずの栄光に比べると取るに足りない。」と言い切っています。そして、イエスは十字架にかけられた時、共に十字架にかけられた犯罪者に、「はっきり言っておくが、あなたは今日私と共に楽園にいる」と言われました。何の差別なく万人を救済するこのイエス様の言葉の中に我々の希望があるのです。
現在、新型コロナウイルス感染症の問題で、非常に大きな困難の中にあります。しかしながら、今は、うめきながらでも「生きる」ことで、主の栄光を待ち望みたいと思います。