斎藤 信一郎 牧師
三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」
ヨハネによる福音書 21章17節
復活後に主イエスが弟子たちに現れた場面です。シモン・ペトロを含む7人の弟子たちが夜通し漁をしますが、魚が釣れないまま早朝を迎えます。ところが、二百ペキス(90m)ほど離れた岸辺からのイエスの「舟の右側に網を」打つようにとの語りかけに従うと、153匹(数字の意味については「聖書のゲマトリア」で検索)もの魚が捕れます。語りかけた人物が主イエスだと気づくと、裸同然だったペトロは上着をまとってすぐに湖に飛び込みます。昔と変わらない個性むき出しのペトロがそこにいます。そして、弟子たちが陸に到着すると、すでに炭火がおこしてあり、魚とパンが用意されていました。
今回の箇所は、生前の主イエスと弟子たちとの特別な思い出や聖書の出来事を想起させます。ペトロたちが最初に主イエスから従うように招かれたのも、漁から戻った時のことでした(マタイによる福音書4章19節)。主イエスの指示に従うと大量の魚が捕れた話についてはルカによる福音書5章にあります。ペトロが裸同然だったことを気まずく思った場面は、アダムとエバが禁断の果実を食べた後で主なる神から身を隠した時の反応を連想させます。この後の主イエスがペトロにした三度の質問も、主イエスが十字架に掛けられる前に主のことを三度知らないと言って裏切ったペトロを連想させます。
原典のギリシャ語では、主イエスの最初の2回の質問「わたしを愛しているか」と語った時の「愛」は、アガペーと言って神の無条件の愛を指す言葉です。これに対し、ペトロが三度繰り返して「わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と返事した時の「愛」は、フィーリアと言って友愛を意味する言葉です。昔のように威勢良く命がけで主イエスに従うなどとは言えなくなったペトロならではの返事です。これに対して、主イエスは三度目にはペトロの言葉に寄り添うかのように友愛の方の「愛」で問いかけをしているのが今回の箇所の特徴です。ペトロがどんなに人間的にも、信仰面でも不完全さを持ち合わせていたとしても、そんなペトロに昔と変わらずに「私に従いなさい」と呼びかけて下さる主イエスでした。しかも、主イエスは同時に「わたしの小羊」や「羊」を「養い」、「飼う」ようにと語りました。あたかも「教会に来る新来者、子どもたちと教会員を共に教え、育てなさい」、また、「教会全体の働きを共に整えなさい」との教会の宣教の働きへと招く言葉でした。
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