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主日礼拝宣教要旨

2019年10月6日(日) 礼拝宣教要旨 「砕かれて生きる恵み」 創世記32章23-32節

朴 思郁 協力牧師

ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた。

創世記 32章32節

 「ペヌエルでの格闘」という物語には、20年ぶりに帰郷するヤコブが、独り残されたヤボクの渡しで経験する内容が描かれています。聖書は、何者かがあらわれて、一晩中ヤコブと激しく戦っていたと言います。物語の中で最も有名なのは、「(兄エサウの)かかとをつかんだ」という意味のヤコブの名前が「イスラエル」、すなわち「神ご自身が戦う、または治める」という意味の名前に変えられることです。
 聖書は、ヤコブの改名理由について、「お前(ヤコブ)は、神と人と戦って勝ったからだ」(32:29)と言います。ところが「ペヌエルでの格闘」で、ヤコブは、股の関節がはずれたと表現されているように、自分の力では自由に歩けなくなったほど、徹底的に砕かれた、まさに「完全な敗北」の状態でした。にもかかわらず、「お前は、神と人と戦って勝ったから」というのは、世間一般の勝敗理解とは異なる、聖書特有の意味が示されているように思われます。
 これまでのヤコブの人生を動かしてきたのは、己の欲望を実現することを最優先する生き方でした。長子権を奪い取るために兄エサウや父親イサクを騙したこと、また財産増殖のために叔父ラバンを騙したことなど、ヤコブは必死で自己中心的な生き方をしてきました。更にヤコブは、「神と人と戦って勝ったから」という表現のように、神の前に立たされ、心身ともぼろぼろになるほど砕かれても、絶対自分の生き方を諦めようとしませんでした。そのようなヤコブが「お前は、勝ったから」と言われるのは、「もういい、自己中心的な生き方はここまでだ」という、ヤコブに対する神の配慮なのです。
 決して自分の生き方を諦めようとしないヤコブであるにもかかわらず、神は「イスラエル」という新しい名前を与えられるのです。それは単なる改名ではなく、今までの生き方を脱ぎ捨てて、神に導かれて歩む生き方を身につける、いわゆる「生き方の転換」の促しでした。あたかも映画のエンディングシーンのような「ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた」という描写には、新しい生き方がもたらす「砕かれて生きる恵み」が示されているのです。


アイキャッチ画像 thanks!! to cocoparisienne from Pixabay

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