「悪い者から救ってください」の「悪い者」は二通りの理解ができる言葉である。原語を男性名詞と理解するならば、「悪い者」というのをひとつの「人格」と解釈できるため、「サタン」のことを指すと読み取れる。また、原語を中性名詞と理解するならば、「悪い物」、すなわち「病気」なども含め、「衝動的に浮かんでくる悪い心」「人間が生きている限り直面する好ましくないもの」全般と解釈することが可能である。
いずれにせよ言えることは、このような「好ましくないもの」すべての背後に「サタンの働き」を見据えることが必要ということである。我々にとっては「神との関係」が最も大切であるにもかかわらず、さまざまな「好ましくないもの」に直面させられるとき、我々は「不信仰」に陥らされ、神から引き離される危険に常にさらされる。
しかしながら、そのような好ましくない「試練」に出遭うことによって、そこから神の助けを求め信仰が立て直されるということもある。「誘惑」「試練」は信仰者にとってひとつの「分岐点」である。信仰の「危機」という言葉は「分かれ道」という言葉からきている。我々がそこに置かれるとき、どうしようもできない自らの弱さを知り、神に助けを求め恵みによって立たされることもあるし、またその逆もある。外から臨んできて自らを苦しめるものに耐えれば信仰を更に建てられるようにもなるし、耐えきれずに信仰から離されることもある。
それゆえ「我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ」という祈りは、神から引き離されてしまうかも知れない危機の前で弱い我々であることを自覚し助けを求める祈りである。この祈りを「試みるものの手にわたしたちを渡さないでください」と訳した人がいた。様々な出来事にさらされ、信仰から落ちやすい自分の弱さを自覚し、神に守りと助けを求める祈りが「主の祈り」には含まれているのである。