*目的
当時、キリスト教は、エルサレムから遠く異邦のなかに入り、いわば第二期の異邦文化とキリスト教の種々の問題に直面していた。
次第に強まる皇帝礼拝、ユダヤ教とローマの政治など解決を求めることが少なくなかった。
ローマがユダヤにおいて所有していた最大の権限として徴税権がありました。
これは、〔戸口調査〕によって課せられる人頭税〔住民税〕土地などの〔不動産税〕市場税〔所得税〕など、ローマの徴税請負人によって徴収された。
ルカ書の目的は、異邦人に読ませることであった。高官テオフィロに福音の内容を詳細にしめす目的であったが、同時に一般の異邦人にも読ませようとの思いがルカの心中にあったとみるべきである。
*ルカによる福音書19章1〜10節
徴税人ザアカイの物語は、ザアカイという一人の人を見る神の目についてです。ユダヤ人でありながらローマの手先となっていたザアカイはユダヤ人から裏切り者として嫌われ罪人とされていました。
一節:イエスがエルサレムに上る途上、長い下り坂を通って、ヨルダンの谷にある重要都市「エリコ」での出来事
二節:ザアカイがエリコの徴税人の頭であった。
エリコは香料の産地で、その税額も多いので、徴税人の頭もおかれていた。他の徴税人も金持ちであったであろうと思われる。
三節、四節:ザアカイはイエスのことを以前から聞いていたので、何とかして見たいというザアカイの動きが読み取れる。
五節、六節:「今日は,ぜひあなたの家に泊まりたい。」・・新共同訳聖書
[今日、あなたの家に泊まることにしているから]・・口語訳聖書
直訳では、[今日、とまらねばならない]
10節のイエスの使命がザアカイの心に共鳴したのです。
七節:エリコの人々のつぶやきとイエスへの非難
八節:律法によれば、悔い改めるためには「犯した罪を告白し完全に賠償しそれに5分の1を追加して損害を受けた人に支払う」(民数5:7)。だが、ザアカイは4倍にして返すといっている。「財産の半分を貧しい人々に施す」ということは「持っている物をすべて売り払い貧しい人々に分けてやりなさい」(ルカ18:22)というイエスのことばから「永遠の命」を受け継ぐことを求める。「あなたがたは神と富とに仕えることはできない」(ルカ16:13)。
九節:「今日」は、救いが告知された(ルカ4:21)。イエスがこられた大きな意味は、どんな嫌な人と思われる人であっても、その中にアブラハムの子であるというものを見いだしていく。
十節:アブラハムの子であること失ってしまっている人にもう一度、自分がアブラハムの子であることをわからせるためにこられたイエスです。イエスの愛と信頼によって、ザアカイは、新しい生き方に変えられていきました。聖書が、私たちに訴えている出来事とは、神が私たちにどのように近づかれ、何をされたかに目をとめていくのが、キリスト教であり、神との交わりを常に持ち続けていく生活です。
内藤牧師の『b一日の発見』より
「ザアカイは主イエスと一緒にいることによって、罪人の自分に心を留めてくださる深い主の愛に触れた。今日の聖句は、ザアカイの言葉をきいて語った主イエスの喜びの言葉である。」