パウロは伝道者として、どのように生計を立てていたのであろうか。彼は様々な人々によって支えられていたが、自ら支援を要求することはなかった。天幕職人として生活の資を得ることができ、そのような意味でパウロは「自給伝道者」であった。しかし、投獄されてしまったら自由に仕事をすることができない。既に学んできたように、パウロは軟禁されている間、比較的自由に人々と面会し、手紙を書いて諸教会に送ることができた。現在のように筆記用具が気軽に手に入る時代ではなく、また手紙を送付する際にも何らかの費用が必要であろう。そのようなパウロの状況を心配し、フィリピの人々はパウロを支援したのではないかと考えられる。
「伝道者の生活」について、主イエスは次のように教えている。「その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである」(ルカ10:7)、「旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持っていってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である」(マタイ10:10)。また、パウロは次のように書いている。「よく指導している長老たち、特に御言葉と教えのために労苦している長老たちは二倍の報酬を受けるにふさわしい、と考えるべきです」(Ⅰテモテ5:17)、「御言葉を教えてもらう人は、教えてくれる人と持ち物をすべて分かち合いなさい」(ガラテヤ6:6)。
しかし、パウロ自身の生活はそうではなかったようである。「・・・主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと指示されました。しかし、わたしはこの権利を何一つ利用したことはありません。こう書いたのは、自分もその権利を利用したいからではない。それくらいなら、死んだほうがましです」(Ⅰコリント9:14−15)、「今の今までわたしたちは、飢え、渇き、着るものがなく、虐待され、身を寄せる所もなく、苦労して自分の手で稼いでいます」(Ⅰコリント4:11−12)。
それゆえ、パウロはフィリピの人々に対しても「自分がもっと贈物を欲しいと思っている」と思われないように強調している(「物欲しさにこう言っているのではありません」、11節)。パウロは「貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています」(12節)と言い、物質に振り回されない自由な生き方を証しする。当時さかんであったストア派の哲学においても、同様のことが言われた。彼らは自ら修行を積むことで「置かれた境遇に満足する」という境地に達し、自分自身を確立することを目指した。しかしパウロはそうではなく「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です」(13節)と言う。自分の力でそのような生き方に達することができるのではなく、ただ、最後まで自分の人生の責任を持ってくださるイエス・キリストを信じる信仰によって、自由な生き方を頂くことができるというのである。「貧しさ」の中にだけではなく、「豊かさ」の中にもまた精神的・倫理的な誘惑や問題が数多く存在する。イエス・キリストを信じて生きる者は、豊かさの中で、「与えること」を可能にするという新しい「豊かさ」を与えていただけるのである。