西川口キリスト教会 大城戸 一彦
イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。」
マルコによる福音書 10章21節a
イエスは、自分の努力で永遠の命を受け継ごうとしている金持ちの男に、それなら、まず、完璧な行いをもって仕えてみよと、伝えたのでした。そして、「あなたには欠けているものが一つある」と答えてくださいました。
ヨハネによる福音書3章でイエスは、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」とおっしゃいました。これは、キリスト・イエスに与る命をいただくこと。つまり、永遠の命は勝ち取るものではなく、神の大きな痛みによって与えられたものであることを知ることであると言われたのです。そして、ルカによる福音書16章では、神と富というふたりの主人に仕えることをせず、イエスに従うことを諭されました。
良い行いによって永遠の命を得ようとした金持ちの男は、固定観念を捨てることができずに、決定的な誤りを犯してしまったと言えるでしょう。この男はイエスに躓いたのではなく、自分から転んだ、つまり見当違いの選択をしてしまったのです。去っていくこの男のがっかり落ち込んだ背中を想像すると、わが身を見ているようです。しかしこの男にとって、イエスとのかかわりはこれで終わりではないと思うのです。去っていく男にも、注ぎ続けるイエスの眼差しが届いていると思うのです。いつか後のものが先になり、先のものが後になるような時が、きっとこの男にももたらされることでしょう。
〝わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をする〟(ヨハネの黙示録3章20節)とのイエスからの呼びかけは、わたしたちと同様に、この男にも届き続けていると思うのです。そして、本日(3/31)の教会学校成人科で学ばせていただいたように、エマオで、困惑に暮れて歩いている二人の弟子のところに、いつの間にかそっとイエスが近づいてきている、この同じ出来事が、この男にも起こされると思うのです。