斎藤 信一郎 牧師
「そこは、彼が最初に祭壇を築いて、主の御名を呼んだ場所であった。」
創世記 13章4節
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共通の信仰の父と称されるアブラハム。最初はアブラムという名前で登場します。今回の箇所の直前の12章後半では、エジプトにおいて大失敗をしながら神に信仰の成長を導かれていく姿が描かれています。カナン地方の南方、ネゲブでの滞在中に起きた大飢饉から一族を守るために、エジプトに活路を見出そうとしたアブラムでしたが、それは神に御心を求めず、自分の知恵で一族の安全を図ろうとする旅でした。そのために、かえって自分の妻とエジプトの王ファラオとその家臣に大きな災いをもたらしてしまいます。それでも神の助けにより、彼はさらに財産を殖やしてネゲブ地方まで戻って来ることになります。
今回の箇所では、失敗を振り返り、もう一度神とのあるべき信仰の原点に立ち返ろうとするアブラムの姿が描かれています。アブラムはかつて祭壇を築いて神を礼拝し、御心を求めて祈ってから旅を進めたベテルとアイの町の間に位置する場所を目指して北上します。しかし、統括する人数と管理する家畜の群れが多くなりすぎたため、親戚のロトの一族と別行動を取ることを提案します。どこに移住するかの選択権を与えられたロトでしたが、失敗をした時のアブラムのように神の御心を求めずに自己判断で決めてしまいます。しかも、彼が選んだのは神に対して多くの罪を犯しながら生活するソドムの町でした。神を真実に礼拝し、御心に従って生きることを軽視したのです。このことが後に大きな誤りであったことを彼は身をもって体験していくことになります。
一方のアブラムはベテルに向かって旅を続け、無事に目的地にたどり着いたことが語られています。4節で「そこは、彼が最初に祭壇を築いて、主の御名を呼んだ場所であった。」ことを強調しています。私たちも、日常生活で起きる様々な環境の変化や人間関係のために対応を迫られる時があります。その時、アブラムのように祭壇を築き、主の御名を呼び求めて歩むことの大切さを示されます。