斎藤 信一郎
新年おめでとうございます。今年も聖書を通して神のみことばが新鮮に私たちの心に響くことを期待します。
親戚のエリサベトの妊娠の知らせを受胎告知と同時に聞いたマリアは、ナザレの村から山里にあったユダの町に出かけます。出産時にも止むを得ずユダの地ベツレヘムに行くことを合わせると、短期間に二度ユダの地を訪れることになります。マリアが元気で活発な女性だったことが垣間見えます。
40 節を見ると、突然の訪問を受けた両者の胎内の子どもたちも互いに喜び合っていたことが示唆されています。そして、エリサベトは聖霊に満たされて通常ならあり得ないような返礼の言葉をマリアにします。43 節「わたしの主のお母さまがわたしのところに」とあります。マリアの胎児が自分の「主」であると告白しているのです。そして、「自分たちの方から本来お訪ねすべきところを」と言いたかったのでしょう。この会話は、やがてバプテスマのヨハネのところに主イエスがバプテスマを受けに来る場面と重なります。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか」とヨハネは主イエスに言っています。これらの箇所には、クリスチャンたちが世代を超えて共有していくべき大切な教えが語られています。45 節「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」天使から聞いた神のみことばを、自分たちに与えられた人生の使命だと受け止めることができなかったエリサベトの夫ザカリアでした。しかし、マリアは人類の罪をあがなう救い主、イエス・キリストをこの世に誕生させることが自分の人生の使命だと信じることができたのです。マリアとエリサベトの二人はこのあり得ない神の祝福を自分のこととして互いに喜び合い、賛美し合う者とされました。ここに、私たちへの祝福と新年のチャレンジがあります。