「自分自身と教えとに気を配れ」
自分自身と教えとに気を配りなさい。以上のことをしっかりと守りなさい。そうすれば、あなたは自分自身と、あなたの言葉を聞く人々とを救うことになります。(テモテへの手紙 一 4章16節)
バプテストの信徒は聖書をよく読むという良き伝統があります。キリスト教は聖書が命ですから、宗教改革者たちは、聖書を自国の国語に翻訳し、誰もが読めるようにしました。聖書は、教会の信仰を計る権威であり、善と悪を判定する真の権威である神を証しています。また、聖書の御言葉には力があります。だから、私たちは御言葉を学ぶ大人の教会学校に固執します。バプテスト教会は、宗教改革時代のイギリスにおいて、聖書を主体的に読む信徒の共同体として誕生しました。全年齢教会学校の運動は、この当然の帰結として起こった信徒の運動です。バプテストの説教家スポルジョンは、15歳の時、一人の信徒が語るイザヤ45:22の言葉によって回心し、信徒説教者として奉仕しました。その後、牧師に招かれ、独学で神学を学び続け、当代随一の説教者として大成しました。アメリカのバプテスト教会の牧師の半数は神学校を出ていない、とも言われます。その背景には、教会学校で養われるという事実があるのではないでしょうか。筑波教会の初代牧師児玉忠重先生も60代までは一信徒でした。移り住んだつくばの自宅を伝道所にして、信徒説教者として奉仕を始め、翌年牧師の按手を受けました。書斎にはたくさんの神学書が並んでおり、長い間教会学校成人クラスを担当してきた実績もありました。全年齢教会学校がある教会は、牧師一人の能力に頼らないので、たとえ牧師が交代しても、教会が大きな影響を受けることはありません。自立した信徒たちが育っているからです。