2016年8月 祈祷会・教会学校
聖書箇所 8/13日 列王記上18章20-40節「火をもって答える神」
総合テーマ 預言者の使命
あらすじ)18章
・飢饉が3年続いた後に、神はエリヤにアハブの前に姿を現して、雨を主が降らせることを告げるように命じます。アハブの宮廷長オバドヤは、アハブに仕えながらも、主の預言者百人を洞窟に密かに隠して養っている、神を畏れる人でした。エリヤは道中、彼に会って、アハブとバアルとアシェラの預言者850人を、カルメル山に集めるように伝えました。
黙想のポイント
・バアル神やアシェラ像は、今日の神社や仏像に似ています。たとえこのようなものを拝んでいなくても、私たちは真の聖書の神のみに従って生きているでしょうか。
18:20 アハブはイスラエルのすべての人々に使いを送り、預言者たちをカルメル山に集めた。
18:21 エリヤはすべての民に近づいて言った。「あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が神であるなら、主に従え。もしバアルが神であるなら、バアルに従え。」民はひと言も答えなかった。
>>>今回の箇所も、前提となる神とエリヤとの間の会話は省略されています。エリヤは単刀直入に本題に入ります。
18:22 エリヤは更に民に向かって言った。「わたしはただ一人、主の預言者として残った。バアルの預言者は四百五十人もいる。
18:23 我々に二頭の雄牛を用意してもらいたい。彼らに一頭の雄牛を選ばせて、裂いて薪の上に載せ、火をつけずにおかせなさい。わたしも一頭の雄牛を同じようにして、薪の上に載せ、火をつけずにおく。
18:24 そこであなたたちはあなたたちの神の名を呼び、わたしは主の御名を呼ぶことにしよう。火をもって答える神こそ神であるはずだ。」民は皆、「それがいい」と答えた。
>>>民は明確なしるしを与えられると聞き、それに賛成しました。このようなことがないと私たちは真の神に従えないのでしょうか。しかし、聖書が一貫して伝えている通り、人類は奇跡的な事柄によっては一時的にしか信仰を持続させることはできません。それでも民は、特別に、モーセの時や主イエス・キリストの時と同様に、特別な奇跡を垣間見ることになります。
18:25 エリヤはバアルの預言者たちに言った。「あなたたちは大勢だから、まずあなたたちが一頭の雄牛を選んで準備し、あなたたちの神の名を呼びなさい。火をつけてはならない。」
18:26 彼らは与えられた雄牛を取って準備し、朝から真昼までバアルの名を呼び、「バアルよ、我々に答えてください」と祈った。しかし、声もなく答える者もなかった。彼らは築いた祭壇の周りを跳び回った。
18:27 真昼ごろ、エリヤは彼らを嘲って言った。「大声で呼ぶがいい。バアルは神なのだから。神は不満なのか、それとも人目を避けているのか、旅にでも出ているのか。恐らく眠っていて、起こしてもらわなければならないのだろう。」
18:28 彼らは大声を張り上げ、彼らのならわしに従って剣や槍で体を傷つけ、血を流すまでに至った。
18:29 真昼を過ぎても、彼らは狂ったように叫び続け、献げ物をささげる時刻になった。しかし、声もなく答える者もなく、何の兆候もなかった。
>>>他の宗教では、しばしば自分の身を傷つけたり、時には人間を犠牲として捧げるという忌まわしい儀式が行われます。どの宗教も同じと理解することは、到底できません。
18:30 エリヤはすべての民に向かって、「わたしの近くに来なさい」と言った。すべての民が彼の近くに来ると、彼は壊された主の祭壇を修復した。
18:31 エリヤは、主がかつて、「あなたの名はイスラエルである」と告げられたヤコブの子孫の部族の数に従って、十二の石を取り、
18:32 その石を用いて主の御名のために祭壇を築き、祭壇の周りに種二セアを入れることのできるほどの溝を掘った。
>>>エリヤは壊されていた祭壇を修復するところから始めました。そして、イスラエルの十二部族を象徴する石を用いました。イスラエルの民が再び真の神に一つとなって立ち返ることを祈るようにして、まず礼拝の場所を再建するところから始めました。礼拝は、常に準備段階から大切だということが暗示されているように思います。
18:33 次に薪を並べ、雄牛を切り裂き、それを薪の上に載せ、
18:34 「四つの瓶に水を満たして、いけにえと薪の上にその水を注げ」と命じた。彼が「もう一度」と言うと、彼らはもう一度そうした。彼が更に「三度目を」と言うと、彼らは三度同じようにした。
18:35 水は祭壇の周りに流れ出し、溝にも満ちた。
>>>エリヤがしていることは、さらに捧げものが燃えにくくするための行動でした。これでも全能の神は捧げものを焼き尽くして燃やすことがおできになると、確信していなければできないことです。また、水はキリストが与える命の水、火は聖霊の火を連想させます。水と霊によってイスラエルの民が悔い改めに導かれ、新たにされることを祈るような儀式が続きます。
18:36 献げ物をささげる時刻に、預言者エリヤは近くに来て言った。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、あなたがイスラエルにおいて神であられること、またわたしがあなたの僕であって、これらすべてのことをあなたの御言葉によって行ったことが、今日明らかになりますように。
18:37 わたしに答えてください。主よ、わたしに答えてください。そうすればこの民は、主よ、あなたが神であり、彼らの心を元に返したのは、あなたであることを知るでしょう。」
>>>これらのことが主なる神の指示によってなされていること、そして神がイスラエルの民をもう一度ご自分の元へと信仰を呼び戻すための、憐みと忍耐に満ちた出来事であることが表現されています。
18:38 すると、主の火が降って、焼き尽くす献げ物と薪、石、塵を焼き、溝にあった水をもなめ尽くした。
18:39 これを見たすべての民はひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です」と言った。
18:40 エリヤは、「バアルの預言者どもを捕らえよ。一人も逃がしてはならない」と民に命じた。民が彼らを捕らえると、エリヤは彼らをキション川に連れて行って殺した。
分かち合いのポイント
・偶像礼拝は徹底して取り除かれて行きました。私たちの日常からもこのように徹底して偶像を取り除くことができるでしょうか。何から始めると良いでしょうか。分かち合いましょう。
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