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主日礼拝宣教要旨

2016年10月2日(日) 主日礼拝宣教要旨 「聖書のはじまり方」創世記1章1節

2016年10月02日(日) 主日礼拝宣教要旨 西川口キリスト教会 斎藤信一郎

主題)「聖書のはじまり方」創世記1章1節 「初めに、神は天地を創造された。」

兼ねてから時期を見て皆さまと分かち合いたいと願っていた宣教シリーズが創世記の1章~5章です。手紙やラブレターを書く際に最初の一行に書き手の心が特別にこもるように、聖書の最初の数ページには神の豊かな思いが込められています。もはや神が存在するのか、しないのか。また神がいるとすればどの神を信じれば良いのか分からなくなった人類に対して、神は明確に私こそ真実の神だということを創世記を通して明らかにしておられます。
今月は創世記の第1章を通して私たちの世界を創造された神が、どのような神なのか、そしてどのような目的と気持ちを込めてこの世界を創造されたのかを共に確認して参りましょう。ヘブライ語で書かれている創世記の第1章第1節はこのように始まります。「へレシート(初めに)バーラー(創造された)エロヒーム(神は)エット ハッシャマイム(天と)ベエット ハアーレッツ(地とを)」。ヘブライ語の聖書では、各書簡の冒頭の単語が書簡名として用いられています。つまりヘブライ語の聖書では創世記は「はじめに=ベレシート」と書かれているのです。これは、神聖な神の言葉を文字にするわけにはいかないという信仰理解が存在し、長年口頭で伝承され続けて来たためだと言われています。
他の宗教書の場合、開祖の生い立ちから書き始めるのに対して、聖書はこの世界を創造されたのは聖書の神だという宣言から始まります。また厳密に言うと、神が創造されたのは地だけでなく、天の領域もであることが明言されています。列王記上8章27節でソロモン王も次のように民の前で祈っています。「神は果たして地上にお住みになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません」と。他の宗教では神は天におられるという理解があるのに対して、聖書は「天と地とを超えて存在される神」という認識も持っているのが特徴です。これからご一緒に創世記を通して語られる神の福音に耳を傾けて参りましょう。

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