2026年4月19日(日)礼拝宣教要旨
聖書箇所:テトスへの手紙 2章11節〜15節
「実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。」
テトスへの手紙 2章11節
神の恵みは「すべての人々に」及んでいます。性別も世代も社会的立場も異なる人々、さらには「自分のような者には」と感じてしまうことのある者にも、例外なく注がれています。この宣言こそが、本日の御言葉全体の土台です。恵みに例外がないからこそ、私たちは互いに励まし合うことができるのです。今日は三つのことを共に聴いてまいりましょう。
まず、すべての人々への恵みの広がりについてです。パウロは1章で、クレタの人々の混乱した現実を率直に語りながら、それでもなお「すべての人々に」神の恵みが現れたと宣言します。その恵みは、受け取る側の資格や実績によるのではなく、一方的に与えられるものです。私たちの教会もまた、さまざまな背景を持つ者の集まりです。弱さや限界を抱えたままであっても、神の恵みはすでに私たちのもとに届いています。この事実を互いに確かめ合うことこそが、共に歩む力の源となります。
次に、「すでに」と「いまだに」の狭間についてです。恵みはすでに現れました。しかし、変わらない弱さや失望しそうになる現実は、今も私たちの傍らにあります。13節は、そのような状況の中でもなお「祝福に満ちた希望」を待ち望むようにと教えています。だからこそパウロは「勧めなさい」と語ります。ギリシャ語の「パラカレオー」は「傍らに呼び寄せる」という意味を持ち、「励ます」「慰める」という響きを含む言葉です。同じ狭間に立つ者同士が互いを傍らに呼び寄せ合い、共に前を向くことができるよう支え合う——それこそが「励まし合う」ということの本質なのです。
最後に、今ここで励まし合うことについてです。キリストは、私たちをご自分のものとして清めるために、命を献げてくださいました(14節)。「良い行いに熱心な民」として召された私たちにとって、励ましに特別な能力は必要ありません。声をかけること、連絡すること、ただ隣にいること——そのような小さな「傍らに呼び寄せる」行いの積み重ねが、人を支え、生かしていきます。「だれにも侮られてはなりません」(15節)という言葉は、この使命をあきらめるには、いつであっても早すぎるのだと告げています。
キリストの深い恵みに支えられながら、今週も「今ここで」、隣にいる人への小さな一歩を共に踏み出してまいりましょう。「良い行い」をあきらめるには、いつだって早すぎます。