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地域と共に歩む桜並木の教会

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主日礼拝宣教要旨

「受け継がれる信仰」 朴 思郁 牧師

2026年7月26日(日) 聖書箇所:テモテへの手紙二 1章3節~7節

 神の賜物を、再び燃えたたせるように勧めます

 テモテへの手紙二 1章6節

 「短い間に生物の世代は移り変わり、走者たちのように、命のたいまつを手渡してゆく」。紀元前一世紀の詩人であり哲学者でもあったルクレティウスは、唯一の著作『物の本質について』にそう記しました。神話に頼らず自然の法則と原子論で世界を説いたこの人にとって、それは原子が生む連鎖にすぎず、火を託した方はおられません。けれども信仰の継承は、たいまつよりも、かつての日本の家の「埋み火うずみび」に似ています。灰の下の小さな種火を、朝ごとに掻き起こす。パウロがテモテに書いた「再び燃えたたせる」は、まさに灰の中のおきを掻き起こす言葉でした。
 パウロはまず「先祖に倣い」と書きます(3節)。ダマスコで人生をひっくり返された人が、なお受け継いだものの上に立っていると知っている。そして「昼も夜も祈りの中で絶えず」テモテを思い起こし、その「涙を忘れることができず」と続けます。信仰は制度によってではなく、名前を挙げて祈られ、涙を伴う関係の中を通って手渡されていきます。週報の祈りの課題に毎週並ぶお名前も、同じ営みです。
 その信仰は、まず祖母ロイスと母エウニケに宿りました(5節)。教会の指導者でも、記録に名を残す立場でもない二代の女性です。「宿る」とは、教え込まれることではなく住みつくこと。今週の聖書教育はサムエル記上十六章、数のうちに入れられていなかった末の子ダビデの選びを取り上げます。「主は心によって見る」(16章7節)。信仰の系図は、世の物差しで数えられない家々を通って流れてきました。
「再び」と勧められるのは、テモテの火が灰をかぶっていたからです。若さゆえの侮り、教会の困難、獄中のパウロ。受け継いだ信仰も、置いておけば必ず灰をかぶります。火とはそういうものだからです。継承とは保存ではなく、その都度掻き起こされること。しかも掻き起こすのは、たいてい自分ではありません。神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊を「わたしたちに」くださいました(7節)。
 テモテは、ユダヤとギリシアの線の上に生まれた子でした。受け継がれる信仰は、線の内側に閉じこもらず、線を越えて手渡されていきます。来週から始まる平和月間の歩みも、この一点につながっています。私たちの内にある火も、誰かが灰の中に残しておいてくれたものでした。今度は、私たちが残す側に立ちます。名前を挙げて祈ること、子どもたちの傍らに座ること、共に賛美を歌うこと。灰の下に小さな種火を残す者として、「共に仕え、共に育つ」群れとして、新しい一週間を歩んでまいりましょう。

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