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主日礼拝宣教要旨

「主の食卓に招かれて」 朴 思郁 牧師

2026年3月15日(日) 主日礼拝 宣教要旨
聖書箇所:マルコによる福音書14章12-26節

「取りなさい。これはわたしの体である。」

マルコによる福音書14章22節

 この箇所は、十字架の前夜、イエス様が弟子たちと共に過越の食事を囲まれた場面です(マルコによる福音書14章12〜26節)。エルサレムには危険が渦巻き、弟子たちは不安と恐れの中にありました。そのような緊張した只中で整えられたこの食卓は、詩編23編5節の言葉、「わたしを苦しめる者を前にしても/あなたはわたしに食卓を整えてくださる」を思い起こさせます。この「主の食卓」の出来事から、私たちの信仰の歩みへの三つの招きを聴いてみたいと思います。
 まず、信頼して生きることへの招きです。イエスは弟子たちに「水がめを運ぶ男に付いて行きなさい」と具体的に指示されました。弟子たちは不安を抱えながらも「言われた通りに」従いました。すると、すべてがイエスの言葉の通りに整っていました(14章16節)。弟子たちがすべて理解したから従ったのではありません。一歩踏み出した先で、主がすでに道を備えておられたことを知ったのです。先の見えない状況の中でも、神がすでに道を整えておられる。それが信仰の歩みです。
 さらに、自分を見つめることへの招きです。食事の中でイエスは「あなたがたの一人がわたしを裏切ろうとしている」と言われました。すると弟子たちは「まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めました(14章19節)。この問いは、私たち自身の問いでもあります。信仰の言葉を語りながらも、自分の都合や弱さに引き寄せられてしまう。そのような自分を神の前に正直に見つめることから、信仰の歩みは始まります。しかしイエスは、そのような弟子たちを食卓から追い出すことなく、なお共に食卓を囲み続けられました。
 最後に、恵みに生かされることへの招きです。イエスはパンを裂き、「取りなさい。これはわたしの体である」と言われ、また杯を渡して「これは多くの人のために流されるわたしの血」と言われました(14章22〜24節)。「多くの人のために」という言葉は、裏切ろうとする者さえ含まれています。イエスは裏切る者を知りながらも、その者を食卓から退けることはなさいませんでした。主の食卓は、ふさわしい者だけが集められる場所ではなく、恵みを必要とする者が招かれる場所だからです。弱さや矛盾を抱えたままの人間に向かって、なお「取りなさい」と招いてくださる——これが主の食卓の恵みです。食事の後、弟子たちは賛美をうたってオリーブ山へと歩み出しました。主の食卓に支えられた者として、新しい歩みへと送り出されたのです。
 主の食卓は、私たちの信仰の強さによって備えられるものではありません。キリストの恵みによって備えられています。弱さも迷いもすべてご存知のうえで、なお「取りなさい」と招いてくださる主がおられる。その恵みの中にこそ、私たちの歩みの希望があるのです。

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