2025年11月2日(日)
主日礼拝 宣教要旨
聖書箇所:詩編100編 1~5節
「主は恵み深く、慈しみはとこしえに/主の真実は代々に及ぶ。 」
詩編100編5節
詩編100 編 1 5 節は、全地への喜びの招きと、神への感謝の理由を簡潔に示しています。 11 月の月間主題「感謝と祝福」の第 1 週として、私たちは「感謝の心を持って」生きることの意味を深く受け取ります。
第一に、聖書は「喜びの招きと全地への呼びかけ」を宣言しています。「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ」 この呼びかけは、感謝と賛美が特権的な人々だけのものではなく、すべての被造物に開かれていることを示しています。「喜び祝い、主に仕え/喜び歌って御前に進み出よ」とあるように、神様に仕えることは義務や負担ではなく、喜びなのです。なぜなら、私たちが仕える神様は、私たちを愛し、最善をなしてくださる方だからです。この喜びこそが、真の感謝の心の源となります。
第二に、聖書は「感謝の土台となる三つの真理」を明らかにしています。「知れ、主こそ神であると」 まず、神様が私たちを造ってくださったこと。私たちの存在そのものが神様の創造の御業の結果です。次に、「わたしたちは主のもの」であること。これは私たちに真の自由と安心を与える言葉です。神様が私たちの責任を負い、守り導いてくださるからです。そして、私たちは「主に養われる羊の群れ」であること。人生の荒波の中で道に迷いやすい私たちを、良い羊飼いである神様が養い守ってくださるのです。
第三に、聖書は「感謝の実践と表現」を教えています。「感謝の歌をうたって主の門に進み」感謝は 心の中の思いに留まるのではなく、具体的な行動として表現されるべきです。礼拝に集うことは神様への感謝の表現であり、日常生活全体が感謝の表現となるべきです。トルストイの「愛のあるところに神あり」の物語のマルティンのように、日々の小さな恵みに目を留め、困難な状況でも希望を失わず、他者への奉仕を通して感謝を表すことが求められています。特に「最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたこと」というイエス様の言葉通り、苦しむ人々、助けを必要とする人々に心を向けることが感謝の心の表れです。
現代において「感謝の心を持って」生きるとは、日々の小さな恵みに目を留めること、困難な状況の中でも感謝を見出すこと、感謝を言葉と行動で表現すること、そして教会共同体として共に感謝し共に歩むことです。詩編 100 編が「全地よ」と呼びかけているように、感謝は個人的なものだけでなく、共同体全体で神様に感謝し賛美することが大切なのです。
私たちの信仰生活の目標は、「主は恵み深く、慈しみはとこしえに/主の真実は代々に及ぶ」という約束を信じ、感謝と喜びをもって歩むことです。神様の恵みと慈しみは永遠に変わりません。この約束を土台として、私たちも他者に 仕える たとえそれが痛みを伴うとしても。小さくても、真心を込めて感謝を生きる。その一歩一歩に、神様の愛が現れるのです 。