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主日礼拝宣教要旨

「小さき者の賛歌」朴 思郁 牧師

2025年12月14日(日) 主日礼拝 宣教要旨
聖書箇所:ルカによる福音書1章46-55節

「身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。」

ルカによる福音書1:48

 ルカによる福音書1章46〜55節は、マリアがエリサベトを訪ねた際に歌った「マリアの賛歌(マグニフィカト)」です。この賛歌は2000年もの間、世界中の教会で歌い継がれてきました。待降節(アドベント)第3週として、私たちはこの「小さき者の賛歌」から、神の憐れみと解放の福音を深く受け取ります。
 第一に、聖書は「卑しさに目を留める神」を明らかにしています。マリアは「身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださった」と歌います。「身分の低い」と訳されるギリシャ語「タペイノーシス」は、単なる謙遜ではなく、社会的に厳しい立場に置かれた人々の状態を意味します。マリアは、自分に起こっていることが個人的な事柄にとどまらず、不当に「卑しさ」に追いやられている人々の解放につながると理解しました。神様のまなざしは、力ある者ではなく、小さくされた者に注がれているのです。
 第二に、聖書は「賛美が生む希望」を教えています。マリアの賛歌は、苦しみや不条理の中から歌われた賛美でした。「その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます」(50節)。神の憐れみは過去から未来へと代々に及びます。賛美は、状況が変わったから歌うのではありません。状況のただ中で、神の憐れみを信じて歌うのです。そして不思議なことに、賛美を歌う時、私たちの内に希望が生まれます。苦しみの中で神を仰ぎ見る時、絶望が希望へと変えられていくのです。
 第三に、聖書は「約束を信じて歌う信仰」を示しています。エリサベトは「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」と語りました。マリアの賛歌の51〜53節は、まだ実現していないことを過去形で歌っています。神の約束があたかもすでに成就したかのように歌う。これが信仰です。神の約束を、まだ見えないうちから信じ、感謝をもって歌うこと。マリアはその生涯を通して「主がおっしゃったことは必ず実現する」という信仰を告白し続けたのです。
 マリアの賛歌は「新約聖書中の偉大な解放の歌」と呼ばれています。それは一人の女性の個人的な喜びにとどまらず、すべての「小さくされた者」への神の解放の宣言だからです。クリスマスは、このマリアの賛美を周りの人たちに届けていく時でもあります。マリアがエリサベトのもとを訪ねたように、私たちもまた、誰かのもとを訪ねる者でありたいと思います。先週学んだ「いと高き方の力に包まれて」歩む恵みに応えて、今週は「賛美を歌う」ことを学びました。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」。この賛美が私たち一人ひとりの心から湧き上がりますように。

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