2025年11月16日(日)主日礼拝宣教要旨
聖書箇所:アモス書 9章11-15節
再び彼らが引き抜かれることは決してない
アモス書 9章15節
今日は「主による回復」と題して、アモス書の最後の箇所から、神の御言葉を聴きたいと思います。アモスは、1章から9章半ばに至るまで、イスラエルに対して裁きの言葉を告げてきました。当時、イスラエルは、信仰的には堕落し、国中に不正がはびこっていました。正義が失われ、貧しい者、弱い立場の者が虐げられていたのです。隣人との関係が破綻していることは神との関係も破綻していることの現れでした。イスラエルの民はどこまでも頑なだったために、遂に神の裁きが下されました。
しかし、主は憐れみ深いお方で、民を回復させます。それ故、アモス書の最後は、イスラエルの回復の預言をもって終わるのです。確かにイスラエルには神の裁きが下り、民は苦しみを経験します。しかしその後に、神は大きな恵みを約束するのです。まず第一に、神の裁きの目的は何だったでしょうか。それは罰を与えることではありません。イスラエルを正しい道に戻すことによって、神との関係を回復させることにあったのです。その神の裁きは、イスラエルの民にとって辛いことでもありました。そこでは変革を迫られるからです。間違いを正されることは、それまでの自分を変えることにもなるからです。しかし、これはなかなか難しいことではないでしょうか。それは、人は自分を変えたくはないからです。では、自分を変えるためにはどうしたらよいでしょうか。
今日の箇所には、「イスラエルを回復させる」と明確に語られています。第二に、主による回復とは何でしょうか。世の終わりには、悪が滅ぼされ、正義が樹立され、もはや9章15節にあるように、「再び彼らが引き抜かれることは決してない」のです。このアモス書では、この世的な繁栄にまみれ、愛と真実を失ったイスラエルの悲惨な末路が徹底的に語られてきましたが、その最後の締めくくりに、このような未来の祝福が約束されたことは、私たちにとって大きな慰めと希望です。それは、どんなに罪深い歩みをした者にも、主による回復の希望とやり直しの道があるということです。
第三は、私たちの人生には、どんな回復が必要でしょうか。今、私たちがどんな状況にあったとしても、「廃墟をも復興なさる主」に、できないことは一つもありません。主による回復が、必ず私たちの人生にもありますから、この救いと希望の福音を受け入れて、そこに留まり続けましょう。