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地域と共に歩む桜並木の教会

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主日礼拝宣教要旨

「深いところで祈る」朴 思郁 牧師

苦難の中で、わたしが叫ぶと/主は答えてくださった。陰府の底から、助けを求めると/わたしの声を聞いてくださった。

ヨナ書 2章3節

 ヨナ書2章1~11節は、神様の召命から逃げたヨナが、海に投げ込まれ、魚の腹の中で初めて心の底から神様に祈った場面です。10月の月間主題「奉仕と献身」の第2週として、私たちは「深いところで祈る」という信仰の在り方について、重要な教訓を受け取ります。
 第一に、聖書は「深いところでの出会い」を教えています。ヨナは海の底という、自分の力ではどうすることもできない完全な無力状態を経験しました。これは「終わり」のように見えましたが、実は「新しい始まり」でした。神様は巨大な魚を用いてヨナを守り、彼が本当の意味で神様に出会う場所を備えてくださったのです。私たちの人生にも、病気、困難、人間関係の破綻など、様々な「深いところ」があります。しかし、その場所こそが、実は最も深く神様に出会う場所となり得るのです。
第二に、聖書は「どんな深さからでも届く祈り」を示しています。ヨナは魚の腹という「海の底」から祈りました。それは美しい言葉でも、形式を整えたものでもなく、ただ苦しみの中からの叫びでした。しかし、主はその叫びに答えてくださいました。「わたしの祈りがあなたに届き/聖なる神殿に達した」(8節)。どれほど深いところにいても、どれほど神様から遠く離れているように感じても、心の底からの正直な祈りは神様に届くのです。物理的な距離も、霊的な距離も、神様の愛を遮ることはできません。
 第三に、聖書は「救いは主にこそある」という信仰の核心を告白させています。ヨナは「救いは、主にこそある」(10節)と告白しました。この告白に至るまで、彼は長い道のりを歩みました。神様の召命から逃げ、海に投げ込まれ、死の淵を経験し、そしてようやく、この真理に到達したのです。救いは自分の正しさや努力にあるのではなく、ただ主の憐れみにこそあります。イエス様もヨナのエピソードを引用され、ご自分の死と復活の予型として示されました。神様は、迷い出た一匹の羊を捜し求める羊飼いのように、私たち一人一人を愛し、決して見捨てることがないのです。
 現代において「深いところで祈る」とは、自分の無力さを認めること、正直に神様に叫ぶこと、他者の痛みに丁寧に向き合うこと、共にいることです。高齢者や介護者、災害に遭われた方々、子育てに悩む親たち——様々な「深いところ」を経験している人々と共にいることが、教会の使命なのです。
 私たちの信仰生活の目標は、人生の「深いところ」を経験しながらも、そこで神様と出会い、「救いは、主にこそある」という信仰を携えて新しい歩みへと進むことです。そして、今度は他の人々の「深いところ」に寄り添い、神様の愛を証しする——この姿勢こそが、私たちの奉仕と伝道の土台です。どんなに深いところからでも、祈りは神様に届きます。その確信に立って、共に歩んでまいりましょう。

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