2025年10月5日(日)
主日礼拝 宣教要旨
聖書箇所:マルコによる福音書 10章35-45節
「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」
マルコによる福音書10章45節
マルコによる福音書10章35~45節は、弟子たちが「栄光の座」を求めたことに対して、イエス様が神の国における真の偉大さについて教えられた場面です。10月の月間主題「奉仕と献身」の第1週として、私たちは「仕える心」という生き方について、重要な教訓を受け取ります。
第一に、聖書は「この世と神の国の価値観の違い」を教えています。ヤコブとヨハネは、イエス様の右と左の座を求めました。これは「地位」や「名誉」を求める、この世のヒエラルキーの発想でした。しかし、イエス様は「あなたがたの間では、そうではない」と断言されました。神の国における「偉大さ」とは、より多くの人に仕えることです。教会の奉仕においても、私たちは知らず知らずのうちに「認められたい」という誘惑に陥ることがあります。しかし、神の国は支配ではなく、仕えることによって成り立つのです。
第二に、聖書は「アウトサイド・イン」の宣教姿勢を促しています。イエス様は天の栄光を捨てて、人間の世界に降りて来られました。高い所から教えを垂れるのではなく、人々の只中に入って来られ、その必要に耳を傾け、痛みに寄り添われました。サマリアの女性、徴税人ザアカイ、ニコデモ——イエス様はそれぞれのニーズを切り口として福音を伝えられました。相手のニーズに真心から応えること自体が福音であり、伝道なのです。私たちも「私たちが何を伝えたいか」ではなく、「人々が何を必要としているか」から出発する宣教を目指すべきです。
第三に、聖書は「排他性を超えた愛の実践」について示しています。ヨナは自分の物差しで「誰に伝道すべきか」を判断し、ニネベへの派遣を拒みました。私たちも「この人には伝道する価値がある」という選別的な姿勢を取ってしまうことがあります。しかし、イエス様は当時軽蔑されていた人々のもとに積極的に出向き、すべての人に神の愛が注がれていることを示されました。真の伝道とは、神様がどこへ遣わそうとしておられるのか、誰に仕えるよう召しておられるのかに、謙虚に耳を傾けることです。
現代において「仕える心」を実践するとは、傾聴すること、期待せずに与えること、共に歩むこと、小さな一歩を大切にすることです。これらの一つひとつが、実は何を最も大切にして生きるかという根本的な問いへの答えなのです。
私たちの信仰生活の目標は、イエス様が示された「仕える心」を受け継ぎ、次の世代に伝えていくことです。イエス様が私たちの身代金として命を献げてくださった恵みに応えて、私たちも他者に仕える——この姿勢こそが、私たちの奉仕と伝道の土台です。小さくても、真心を込めて仕える。その一歩一歩に、神様の愛が現れるのです。