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主日礼拝宣教要旨

「祝福を語る者として」朴 思郁 牧師

2025年7月27日(日)
主日礼拝 宣教要旨
聖書箇所:民数記 23章7-12節

「主がわたしの口に授けること、わたしはそれだけを忠実に告げるのです。」

民数記 23章12節

 民数記23章7~12節は、モアブの王バラクが預言者バラムにイスラエルを呪わせようとしたが、バラムが神の言葉に忠実に従い、祝福の言葉だけを語った記録です。この箇所は単なる古代の宗教的出来事ではなく、批判と非難があふれる現代社会を生きる私たちに「何を語るか」「どんな言葉を選ぶか」を問いかけています。「祝福を語る者として」という主題のもと、言葉の力と責任について学んでまいります。
 第一に、聖書は「権力からの圧力という普遍的な構造」を示しています。バラクは政治的な目的のために神の言葉を利用しようとしましたが、バラムは「主が私に与えられる言葉以外は語らない」と一貫して答えました。現代においても、権力を持つ者が宗教的権威や神の名を借りて自らの意図を正当化しようとする事例は枚挙にいとまがありません。私たちもまた、さまざまな形の圧力の中で、神に忠実に従い、真理に基づいた言葉を語る者でありたいと思います。
 第二に、聖書は「祝福の継承という使命」を教えています。バラムの「だれがヤコブの塵の数を数え、だれがイスラエルの群れの数を数えられよう」という言葉は、神がアブラハム、イサク、ヤコブに約束された祝福の確認でした。現代の教会も年齢、職業、経済状況、家庭環境が実に多様な人々が集い、血縁ではなく信仰によって神の民の一員となった共同体です。この多様性こそが神の祝福のしるしなのです。
 第三に、聖書は「言葉の力と連鎖の法則」を提示しています。ネガティブな言葉は批判から反批判へ、炎上から分裂へ、そして孤立へと連鎖しがちです。一方、ポジティブな言葉は感謝から相互理解へ、信頼から協力へ、そして共同体の成長へとつながります。私たちには、批判や愚痴ではなく、感謝や希望、励ましの言葉を選び取る自由と責任が与えられています。
 現代において「祝福を語る者として」生きるとは、この世の効率や利益という基準ではなく、イエス・キリストの愛と正義という価値観で現実を判断し、言葉を選び取ることです。家庭では感謝と励ましを、職場では建設的な提案を、地域では希望と協力を語る者となりたいのです。
 私たちの信仰生活の目標は、日々の選択において意識的に祝福の言葉を用いることです。批判と非難があふれる社会の中で、私たちクリスチャンこそが「祝福を語る者」として、神の愛と平和を具体的に示していく使命があるのです。

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