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主日礼拝宣教要旨

「互いに補い合う体として」 朴 思郁 牧師

2025年6月1日(日)
主日礼拝 宣教要旨
聖書箇所:エフェソの信徒への手紙 4章11-16 節

「キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。」

エフェソの信徒への手紙4章16節

 パウロがエフェソの信徒に語った「キリストの体」としての教会とは、キリストを頭とし、多様な賜物を持つ人々が結び合った有機的な共同体の姿でした。これは制度としての組織ではなく、聖霊によって生かされた交わりです。初代教会は、「すべての物を共有し、おのおのの必要に応じて分け合う」関係にあり、まさに互いに補い合う共同体でした。エフェソの教会もまた、ユダヤ人と異邦人、さまざまな社会的背景を持つ人々によって構成されていました。今日の私たちもまた、異なる年代、職業、価値観を持つ人々が集う共同体を形づくっています。この多様性の中で、いかに一致を保ち、共に成長していくかが、今私たちに問われているのです。
 第一に、私たちは「多様な賜物を生かし合う」生き方へと招かれています。使徒、預言者、福音宣教者、牧者、教師といった賜物は、すべて復活されたキリストが与えられたものです。現代でも、説教、音楽、組織運営、もてなし、祈り、実際的な奉仕など、様々な賜物があります。人生経験そのものも貴重な賜物となります。重要なのは、賜物に優劣はなく、すべてが「キリストの体を造り上げる」ために不可欠だということです。
 第二に、私たちは「しっかりと結び合わされる」生き方へと導かれています。多様な賜物を持つ人々が、キリストを中心として一つの方向に向かって歩むことです。これは画一化ではなく、愛に根ざして真理を語りながら、キリストに向かって成長することです。共同体として結び合わされるとき、様々な「教えの風」に対する識別力が身につき、互いの知恵と経験を分かち合って正しい判断ができるようになります。
 第三に、私たちは「愛によって成長し続ける」生き方へと招かれています。教会共同体は、人間の努力や組織運営の技術ではなく、キリストが頭となり、聖霊が働かれることによって成長します。「あらゆる節々が補い合う」とは、人と人との健全なつながりを意味します。それぞれの「分に応じて働く」とは、年齢、健康状態、能力に関係なく、すべての人がその存在そのものによって共同体に貢献できることを表しています。
 この「互いに補い合う体」としての歩みは、私たちの力だけで成し遂げられるものではありません。しかし、キリストを頭とし、聖霊の助けにより導かれていくとき、それは現実のものとなっていきます。私たち一人ひとりが自分の賜物を見出し、それを共同体のために用い、互いの違いを認め合いながら、愛によって結ばれる教会となること――それこそが、私たちの地域において、キリストの愛を証しする道なのです。

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