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主日礼拝宣教要旨

「聖霊に導かれて」 朴 思郁 牧師

2025年5月3日(日)
主日礼拝 宣教要旨
聖書箇所:ガラテヤの信徒への手紙 5章 22-25節

「わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。」

ガラテヤの信徒への手紙 5章25節

 5月の月間主題「霊的な成長と聖霊」に沿って、今回は「聖霊に導かれて」生きることの三つの側面についてお話しします。
 冒頭では、1873年に中国に派遣されたロッティ・ムーン宣教師の歩みを紹介します。ムーン宣教師は40年以上にわたり中国北部で献身的に奉仕し、聖霊の導きを求め続けた模範的な伝道者でした。彼女の献身から始まった「ロッティ・ムーン・クリスマス献金」は、今も世界宣教を支える主要な財源となっています。聖書にも、使徒言行録に記されたフィリポやペトロなど、聖霊に導かれて歩んだ人々の姿が数多く描かれています。
 ガラテヤの教会は、「律法を守らなければ救われない」と教える者たちと、放縦な自由を主張する者たちの間で揺れ動いていましたが、パウロは真の自由とは「聖霊に導かれて生きること」だと語ります。
 第一のポイントは「聖霊の実を結ぶ生き方」です。愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制といった実は、一朝一夕に育つものではありません。日々の祈りと御言葉への従順、神との交わりを通して少しずつ育まれていくものです。果樹が実を結ぶには丁寧な世話が必要なように、聖霊の実も日々の信仰生活の中で育まれていくことを心に留めたいと思います。
 第二は「肉の欲望に打ち勝つ生き方」です。キリストに従う者として、自己中心的な欲望や衝動に「死ぬ」ことが求められます。「十字架につける」というパウロの強い表現は、救いの瞬間の決定的な変化だけでなく、日々の生活の中で繰り返し経験するプロセスを指しています。ここで大切なのは、自分の力だけで欲望と戦おうとするのではなく、聖霊の力に頼ることです。
 第三は「共に前進する生き方」です。クリスチャンの歩みは決して停滞するものではなく、常に成長し、深まっていくものです。また、私たちは個人としてだけでなく、共同体として「共に」生きることが求められています。聖霊は分裂ではなく一致をもたらし、私たちをイエス・キリストの似姿へと変えていくのです。
 最後に、イエスの言葉「わたしはまことのぶどうの木、あなたがたはその枝である」を思い起こします。枝が幹につながっていなければ実を結ぶことができないように、私たちもイエス様につながり、聖霊の力に支えられて生きるとき、初めて真の実りを結ぶことができるのです。

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