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地域と共に歩む桜並木の教会

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主日礼拝宣教要旨

「喜びのおとずれ」朴 思郁 牧師

2024年12月15日(日)
主日礼拝 宣教要旨
マタイによる福音書 1章18-23節

「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」

(マタイによる福音書1章23節)

 昨日、韓国で大統領弾劾が可決されるという歴史的な出来事がありました。この出来事は、光州民衆抗争を背景に描かれたノーベル文学賞作家・漢江氏の小説『少年が来る』を思い起こさせます。過去の記憶が私たちに苦しみだけでなく、希望と未来を切り開く力を与えることを再認識させる出来事でした。弾劾が可決された瞬間、記憶の力による救いと喜びを深く感じました。
 イエス・キリストの誕生は、単なる過去の出来事ではなく、今を生きる私たちに希望と喜びをもたらす物語です。マタイ福音書1章18節には、聖霊によるマリアの懐妊が記されています。この知らせを受けたヨセフは深い葛藤の中で「ひそかに縁を切る」という慈しみに満ちた選択を考えました。しかし、主の天使が夢で「恐れずマリアを迎え入れなさい」と告げたとき、ヨセフは神への深い信頼によってその言葉に従いました。ヨセフの信仰は、単なる理念ではなく、危険を伴う具体的な行動で示されたものです。この姿は、困難に直面したとき、神への信頼が真の平安と希望をもたらすことを教えてくれます。
さらに、マタイ福音書1章23節の「インマヌエル」という名前は、「神が我々と共におられる」という現実を指しています。イエスの誕生によって、神は私たちの日常や試練に直接関わり、「神が共にいる」という確信を与えてくださいます。「闇の中を歩む民は、大いなる光を見た」(イザヤ書9章1節)という預言者イザヤの預言はイエスにおいて成就しました。また、「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(ヨハネによる福音書1章14節)という言葉は、イエスが神の愛と救いを具体的に示す存在であることを明らかにしています。十字架と復活を通して、イエスは最も深い苦しみの中にも共におられ、死の力から私たちを解放する方であることを示されました。このように、イエスは「インマヌエル」として私たちに確かな希望と救いをもたらしてくださいます。
 「インマヌエル」としてのイエスがもたらす希望は、「どんな状況でも神が共におられる」という確信に基づいています。この確信は私たちに平安を与え、その平安を他者と分かち合う力を育みます。家庭での優しい言葉や職場での協力、地域社会での隣人への気遣いなど、ささやかな行動を通じて、神の愛と平和を表すことができます。また、困難や孤独の中にいる人々に寄り添うことは、神の愛を伝える大切な方法です。このアドベントの時期、「神が我々と共におられる」という真実を生きた形で示し、どのような状況にあっても希望を抱き、信仰を持ち、誠実に歩むことを願っています。

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