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主日礼拝宣教要旨

「希望と慰めの中で」朴 思郁 牧師

2024年9月29日(日) 召天者記念礼拝 宣教要旨
聖書箇所 テサロニケの信徒への手紙一 4章13-18節

 

「イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。」

テサロニケの信徒への手紙一 4章14節


 2024年度召天者記念礼拝にあたり、愛する方々を偲び、「希望と慰め」について思い巡らせるひとときといたします。聖書には、イエスとラザロの物語が記されています(ヨハネ11章)。ラザロはイエスの親しい友人で、病気で亡くなりました。イエスは彼の死を知り涙を流されますが、ラザロの墓の前で「ラザロ、出てきなさい」と呼びかけ、彼をよみがえらせます。この奇跡は、イエスが私たちの悲しみに共感し、死を打ち破る力を持つ存在であることを示しています。ラザロの復活は「死が終わりではない」という希望のメッセージであり、愛する人を失う悲しみの中にあっても、神が私たちに希望と慰めを与えてくださることを示唆しています。
 パウロはテサロニケの信徒への手紙一 4:13で、「眠りについた人々」、すなわち亡くなった方々について、希望を持つように教えています。人生で大切な人を失う悲しみは深く、その痛みは大きいものですが、パウロは「希望を持たない人のように嘆く必要はない」と語ります。その希望とは、イエス・キリストによって亡くなった方々が神の御手の中で安らかに眠っているという信仰です。ラザロの物語のように、私たちも悲しみの中で神の慰めを見出し、愛する人々と再び会う希望を持つことができます。この希望が、私たちの悲しみを乗り越える支えとなります。
 また、パウロは4:14で「イエスが死んで復活されたと私たちは信じています」と述べ、復活が私たちの希望の源であることを示しています。クリスチャンにとって、死は終わりではなく、新しい命への入り口です。イエスの復活によって、私たちにも新しい命が約束されています。この「復活の希望」は、悲しみを希望に変え、人生の痛みを乗り越える力を与えます。ラザロの物語は、死が終わりではなく、神の力によって新しい命が与えられる確信を示しています。イエスの奇跡は、私たちに愛と力の希望をもたらし、愛する人々と再び会う希望を抱かせてくれます。
 さらに、パウロは4:17で「私たちは愛する者たちと再会し、永遠に主と共にいる」と語り、地上での別れが永遠ではなく、神の国で愛する人々と再び会えるという確信を示しています。パウロの言葉は、主と共に雲の中で再会するビジョンを描き、私たちに未来への希望と光を与えます。愛する人々と再び会う希望は、今の悲しみを乗り越える力となり、神の愛と平安の中で永遠に共に過ごす約束を示しています。
 神は信仰を持つ人も持たない人も、分け隔てなく愛し、慰めを与えてくださるお方です。この礼拝が、神の希望と慰めの中で、すべての方に励ましのひとときをもたらすことを願っています。

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