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地域と共に歩む桜並木の教会

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主日礼拝宣教要旨

「十字架-神の愛の出来事」 内藤淳一郎氏(品川バプテスト教会)

 

「彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」

聖書箇所イザヤ書53章5節


 聖書は「人は死ぬと、土から造られた命は土に帰り、霊は神に帰る」と語ります。肉体は死んで土に帰りますが、私たちの霊的な命は神に呼び出されます。その時、神は私たちがどのように生きたかを問われます。そして私たちの愛なき罪が裁かれます。主イエスの十字架には、神の御子をさえ殺そうとする、愛とは程遠い人間の罪が現れています。しかし同時に、主イエスの十字架には、私たちの罪を赦し救おうとされる神の愛が現われています。神の裁きは私たちの上にではなく、罪のない御子の上に下されたのです。私たちが負うべき罪の裁きを、父なる神は御子に負わせられたのです。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」。主イエスの十字架の苦しみは肉体を引き裂く苦痛にもまして、神から棄てられる苦しみでした。主イエスが、私たち罪人に代わって神の裁きの死を引き受けてくださったので、私たちの罪は赦され、私たちに神との平和が与えられるのです。私たちは神に背を向けている時には、神との平和がありません。ですから、どうしても自己中心で生きなければなりません。私たちの愛は条件付きであり、自分に敵対する者には報復しようとします。このため、こ
の世界には戦争が絶えません。
 父なる神は、贖いの死を成し遂げて、神の愛を全うされた御子イエスを「高く引き上げ」、救い主キリストとしてお立てになりました。神は今、御子の十字架の死による贖いを示して語りかけています。「わたしはあなたを贖った。わたしはもはやあなたの罪を裁かない。翻って、わたしのもとに立ち帰れ。あなたはわたしの愛する子だ」と。神の言葉は時代を超えた「永遠の今」の語りかけです。
 私たちは神の御子イエスを救い主と信じる信仰によって神の子とされ、神との平和が与えられます。神との平和によって、私たちはこの世で遭遇する様々な苦しみに立ち向かう勇気が与えられます。人間関係の破れや誤解から自由にされます。そして、神の御心である平和のために、身近な隣人との平和、世界の平和のために、祈り、努力する者となります。

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