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地域と共に歩む桜並木の教会

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主日礼拝宣教要旨

「新しい天と新しい地」内藤淳一郎氏(品川バプテスト教会)

2023年12月31日(日) 主日礼拝宣教要旨
聖書箇所:ヨハネの黙示録21章1-5節

 

「すると、玉座に座っておられる方が、『見よ、わたしは万物を新しくする』と言い、また『書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である』と言われた。」

ヨハネの黙示録21章5節


 この世界は、黙示録に記されていますように、人間の生きる願いがかき消されるような恐怖と危険に満ちている。20世紀には、ホロコースト、原爆投下。今は、「ガザで死にゆく子供たち」。そして、地震、津波、干ばつ、大洪水など自然災害によって死ぬ子供がいる。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」イワンは、罪のない子どもの苦しみを見過ごすような神を受け入れることができないと言う。神が全知全能で善であるなら、不条理な苦しみや死を放っておかないはずだ、と。確かに、世界は私たちが神を信じることが困難になるような悲惨さに満ちている。 
 神は世界を創造して、その働きを終えたのではない。神は創造世界で良いものが損なわれたところを救おうとしておられる。神は御子キリストを通して人間に「互いに愛し合うように」と語りかける。神は人間を強制しないが説得する。しかしながら、説得が好ましい結果をもたらすという保証はない。
 神の御子イエスは十字架に釘付けされ、不条理な苦しみを受け、深い絶望の中で、「わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」と叫んで息絶えた。この叫びは人の子イエスが、不条理な苦しみをなめた人々の呻きを、呻きながら神に叫んだのである。「わが神、どうして?」というイエスの問いに神は答えなかったのか。否、その答えが復活である。復活の光のもとで、イエスの十字架の苦しみと死の極みは「神のへりくだり」(フィリピ2:6-9)であったと知る。イエスは、不条理な苦しみによって希望を失った、そういう人々を待っておられ、ご自身の苦しみと復活にあずからせてくださるのである。
 十字架に架けられて苦しむキリストこそ、私たちの不条理な苦しみをご存じの救い主であり、私たちのすべてを委ねることができる兄弟である。私たちを押し潰す絶望は、このお方と交わることによって、復活を待つ希望となるのである。主イエスは今や神の右に座し、私たちに伴われる生ける主である。そして、世の終わりに再び来られて、被造物を神が本来意図された栄光へと立て直してくださる。
 「見よ、わたしは万物を新しくする」。今は私たちの理解できない苦しみが世界に満ちていても、神が神の国を完成してくださる。神を信じる者はその日に向かって、神から与えられた召命を生きてゆく。

 

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