2023年10月1日(日) 礼拝宣教要旨
聖書箇所:テサロニケの信徒への手紙一 3章9-13節
「わたしたちは、神の御前で、あなたがたのことで喜びにあふれています。この大きな喜びに対して、
どのような感謝を神にささげたらよいでしょうか。顔を合わせて、あなたがたの信仰に必要なものを補
いたいと、夜も昼も切に祈っています。」
テサロニケの信徒への手紙一 3章 9-10節
最近、私たちは、使徒パウロの祈りに焦点を当て、信仰の本質や姿勢について再評価を試みてきました。この祈りの中には、古代から現代まで、多くの信仰共同体の基盤となる教えや原則が織り込まれています。それはまさに、時代を超える普遍的なメッセージを伝えるものとして存在しています。今日は、そんな中でも特に「とりなしの祈り」の意義とそれによってもたらされる恵みについて、一緒に考えてみたいと思います。
テサロニケという古代マケドニアの主要都市は、私たちにとっても特別な場所です。なぜなら、使徒パウロがその地で伝道活動を行った結果、新しい教会が誕生したのです。しかしその後、彼の教えに対する反発や迫害の激しさから、パウロは都市を急ぎ足で去らざるを得なくなりました。この出来事は使徒言行録 17 章に詳細に記されており、パウロの伝道の様子や、彼の教えに賛同する人々と反発する人々との間の関係が描写されています。そして約 50 年頃、テサロニケの教会に対して、コリントでの滞在中にパウロが書いた手紙の中で「とりなしの祈り」の重要性が特に強調されています。
この祈りは、単なる形式的なものではなく、共同体の絆を強め、他者への思いやりの心を培う力強いツールとしての側面を持っています。本日の聖書を読み進める中で、とりなしの祈りが持つさまざまな役割や価値がより鮮明に明らかにされます。それは、心からの喜びや感謝の表現、神との絆をより深くするための手段、そして信仰共同体全体の結束や支え合い、信仰の補完としての存在感として描かれています。さらに、この祈りは、愛と希望の深い表現としての役割も果たします。愛する人のために心からの祈りを捧げることは、自分を超えた真の愛の行為として、聖書でも何度も強調されています。
現代は、情報過多や日常の忙しさに追われる中で、心の平和を保つのが難しい時代とも言えます。しかし、定期的な祈りや黙想を実践することで、私たちの信仰はさらに深まり、心は豊かになります。日々の生活の中で愛と祈りを実践することこそが、私たちの生活を向上させる鍵であると確信しています。そして、私たちは共に、「祈りで支え合う喜び」に満ちた、神に喜ばれる信仰共同体を築き上げることを心より願っています。