2023年9月24日 主日礼拝 宣教要旨
聖書箇所:創世記16章 7-9、13節
「ハガルは自分に語りかけた主の御名を呼んで、『あなたこそエル・ロイ(わたしを顧みられる神) です』と言った。」
創世記16章13a節
不妊のまま高齢になったサライは神様と夫との約束を心配するあまり、異邦人の女奴隷であるハガルに代理出産を託します。ハガルは恐らくサライに忠実に仕えて信頼されていたことを想像しますが、ハガル自身の言葉は語られません。ハガル自身の人生計画があったとしても、聞いてもらえなかったのでしょうか。そんな二人の信頼関係は次第に崩れ、より弱い立場のハガルは追い詰められて、妊娠中に逃亡します。この危機に際して神様が泉のほとりでハガルと待ち合わせをしたのでした(7 節)。8 節の過去と未来を尋ねる質問によってハガルは我に返り、自分の現状に気づきます。この場所は砂漠でした。
御使いは 9 節で意外にも帰宅を勧め、続く 10・11 節ではハガルが将来にわたって慰めを得る約束、不思議なことにアブラムに与えられたものと遜色ないレベルの約束をします。13 節でハガルは神様がいること、そして見ていてくださることに気づいたと語ります。15 節や後の 21 章などには、ハガルが神様の約束を信じて試練を乗り越えていったこと、そして試練の中でも神様が約束を守ってハガルとイシュマエルの面倒を見たことが書かれています。
私たちもハガルのように、仕事や家事・子育てに追われ、恐れや不安に駆られて無我夢中で歩いているのではないでしょうか。同時に、弱くされた人々、希望や願い・権利を言い表すことすらかなわない人々、つまり現代のハガルたちがいて、私たちはそのことに気づかないまま暮らしていないでしょうか。不安や恐れ、徒労感や無力感で頭を抱えるようなときに、ハガルの物語は信仰の先輩がいることを教えてくれます。私も彼女のように主にあって勇敢に、喜んで試練に向かいたいと思うのです。それにしても私たちにとって「泉のほとり」とはどこでしょうか。
マタイ 11 章 28〜30 節には、私たちの休み場はイエス様であると書かれています。まずはイエス様のも
とで十分に休み、それからイエス様と一くびきで喜んで歩みましょう。そして同時にイエス様に倣って人々に
「さあどうぞ、イエス様のもとへ!」と伝えていきましょう。