2023年7月9日(日)礼拝宣教要旨
聖書箇所:ガラテヤの信徒への手紙6章1-5節
「兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、“霊”に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい。」
ガラテヤの信徒への手紙6章1節
人は、平穏な時は柔和でいられますが、誰かが罪を犯したときなど、つい相手を追い詰めてしまうこともあります。そのような時に、「柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい。」と聖書では教えています。
この言葉は、イエスキリストを信じる我々が、罪を犯した人に接していく時の在り方を言い表しています。柔和とは、ただおとなしいだけではなく、他者の立場に立ち、思いやることを表しています。さらに、パウロは、他者に対して柔和な心で接することを求めると同時に、「あなた自身も気をつけなさい」と警告しています。これは、人はいくら柔和であることに努めようとしても、罪を犯した人に対して、自分が他人との比較で高いところに立っているという思い違いに陥りやすい私たちに対する警告でもあります。
また、パウロは、我々教会に連なる者は、「互いに重荷を担いあう」という関係を築くことを奨励し、「そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです」と説いています。我々には、イエスキリストによって導かれ、「お互いに」愛し合い、それぞれの重荷を「担いあう」という道が用意されていること知るべきです。このことによって、他者の罪を赦すだけではなく、自らも罪に陥らないように正しい道へと導かれることを改めて受け止めたいのです。
「どういう生き方をしたいのか」、そう自分に問いかけた時、「柔和でいる」というのはその答えなのであろうと考えさせられます。