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地域と共に歩む桜並木の教会

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主日礼拝宣教要旨

2023年6月18日(日)「わたしが失われ、迷うときも」四津明美

2023年6月11日(日)礼拝宣教要旨
聖書箇所:詩編119編176節

「わたしが小羊のように失われ、迷うとき/どうかあなたの僕を探してください。あなたの戒めをわたし は決して忘れません」

詩編119編176節


 聖書には、神とイスラエルの民の関係が、羊飼いと羊の関係で語られていることが多くあります。羊が身近な動物であり、その特性を知っている当時の人々にとっては羊飼いと羊の関係のたとえはとても分かりやすいものだったからです。羊は臆病な動物です。そのため恐怖心が強くあります。羊の視力は弱く、細かい形をとらえる能力も高くありません。外敵の攻撃にも弱く、けがをしやすく病気にもなりやすいです。しかし、羊の耳は鋭く繊細な聴力を持っています。周囲の音に敏感で、危険や他の羊の声、飼い主の声を聴き分けます。このような羊の世話をする羊飼いの仕事は大変でした。草の生えている場所を捜しながらの放牧です。羊を狙う狼や盗賊など からも守らねばなりません。野宿をしながら夜通し羊の番をすることもありました。きつく、汚く、危険な仕事です。安息日でも礼拝を守れないため、罪人として蔑まれた職業でした。 
 イエスは、自分のことを「わたしは良い羊飼いである」(ヨハネによる福音書10 章11 節)と言われました。そして「良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」とも。聖書の中で引用される羊と羊飼いの関係は、羊の弱さを通じて人間の限界と弱さを表現し、良い羊飼いであるイエス・キリストが救いの源であり、わたしたちを守る方であることを示していると言うことができます。
 この詩編の作者は自分が道を見失うことがあるだろうと自覚しています。同時に自分を探し助けてくださるのは神であるということも確信しています。自分の弱さや愚かさや力のなさを「小羊のように」という言葉で表現しています。迷い出たときの危険性を知っているのは羊自身よりも飼い主である羊飼いです。そうであるからこそ、その身を引き換えにしてでも迷い出た羊を探そうとするのです。それは羊を愛するが故です。
 本日の聖書では「わたしが失われ、迷うときも、あなたの戒めを決して忘れない」と、主なる神に信頼して生きようとする姿勢を示しています。それは、礼拝時間の変更や全年齢層教会学校の再開、そして主任牧師招聘など重要な課題を抱えている私たちの教会に求められる姿勢であると思います。私たちは、大牧者であるイエスの声に耳を傾けながら、これからも共に歩いていきたいと思います。たとえ、はぐれてしまったときにも、必ず見つけ出してくださる大牧者に信頼を置きながら。

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