2023年5月28日(日) 礼拝宣教要旨
聖書箇所:使徒言行録2章37-47節
「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」
使徒言行録2章42節
イエス・キリストは十字架で死なれ、復活され、再び弟子たちと出会い、天に戻られました。ペンテコステにおいて大事なことは、イエスが再び弟子たちと「出会った」ということです。イエスは十字架の上で負った自らの痛々しい傷を弟子に見せました。弟子たちは、このイエスの十字架に対してどう「応答」すべきなのかが、イエスと「再会」することによって問われました。問われた弟子たちに必要だったことは、自らが「悔い改める」ことであり、その印としてイエスは聖霊による「バプテスマ」を受けるということでした。大切なことは「バプテスマ」を受けることによって「悔い改める」のでなく、「悔い改め」のしるしが「バプテスマ」であるという理解です。また、悔い改めの後、賜物が与えられると記され、最初の教会では、子供も、遠い人も、主によって賜物が与えられていることが示されます。賜物は「いのち」とも考えることができますから、誰もが同じいのちに預かっていると聖書は語ります。そして、3000 人が仲間に加わったとあり、そこには多様な人々がいたことが分かります。多様性は喜びでもありますが、一方で、なかなか一致できないこともあります。しかし、人々は一致を目指して、そのために行ったことが「交わり」、「祈り」、「パン」を裂くことでありました。これは、どのような時代の中にあって教会を形作っていくために重要なことです。「交わり」は一人ではできません。「人」と「人」との間で起こります。「祈り」は「人」と「神」との関係性の中でなされます。どれだけ厳しい時代を迎えたとしても「神」を忘れてはならないのです。そして、この「交わり」と「祈り」の間に「パンを裂く」と記されています、簡単に言うならば、誰も「飢えさせない」ということです。自分が満たされていれば、それでいいではなくて、誰に小さな人々に 配慮をすることが、教会が教会となってくためには必要不可欠なのです。私は、キリストの教会として「交わり」「パンを裂き」「祈る」ことを大切にしていきたいと願います。そうやって、人と共に生き、自らを分かち合い、神と共に生きる。そうやって、この「邪悪な時代」を乗りこえていきたいと心から願います。